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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

【コラム】はだかの王様

【コラム】はだかの王様

春や秋のお彼岸に法要を、と今年から考えました。申し込み不要のものをです。
お中日(3月21日)の2時半から、ということで三十名ほどの方々にご参加いただきました。ありがとうございました。

陽岳寺の法要は、住職の工夫のたまものです。お彼岸法要用にと住職の回向の後、すこし私がお話しさせていただきました。「なぜ、住職は法要の内容を工夫しているか」。
お寺とは、ひとつにはなにかを得る場所・置いていく場所です。お参りしてスッキリするのは、なにかを置いていった証拠です。得る・置いていく、そのきっかけは人それぞれ。どこかでひっかかる様に法要の内容を工夫していると考えてみました。
そしてもうひとつ。お寺とは、礼拝施設、祈る場所です。お墓も、お仏壇もそうです。ひっかかった後にチェックをする手がかりとしたい。祈ることは、鏡を見て自分の様子をチェックすること、と言っていいと思います。
毎朝わたしたちは、顔を洗うため、歯をみがくため、お化粧をするため、鏡を見ます。点検し、直すところは直す。何もしないと不快で、モヤモヤします。原因不明の悩みです。
付いていて当たり前の顔を鏡に見るわけですが、当たり前すぎて気付かないこともあるはずです。当たり前すぎて気付かないからこそ原因不明。なにかを得る・置いていくことで、原因不明の悩みの正体に気付くことができる。「当たり前すぎて気付かないこと」に気付くにはきっかけが必要です。

童話「はだかの王様」というお話しがあります。

仕立て屋が、さも今ここに珍しい布があるかのように王様へ言います。「賢い人にしか見えない珍しい布です」と。
珍しい布が見えない王様は、見栄を張り、見える振りをして洋服を作らせます。家来たちも見栄を張って誉めそやし、王様が意気揚々と街中に披露しに出掛けると街の大人たちもこぞって見栄を張り「すばらしい服だ」と誉めそやします。
しかし、ある子供が王様を指差して「何で王様は裸で歩いているの?」と笑います。子供の言うことが「真実」なのだとようやく気付かされた大人たちは自分の愚かさを恥じる、というお話。

実力がないのに見栄を張る。やっかみ・比較・思い込み・嗜好をいれる。
『今ここに珍しい布はない』という当たり前すぎて気付く事実を、王様は見栄を張ったせいで、「当たり前すぎて気付かないこと」にしてしまった。さらに、まわりも同調した。
どこかにきっかけが無ければ今いる環境や原因不明の悩みを抜け出せない、というお話しです。法要の内容の工夫は『はだかの王様』の教訓のように、いろいろと意味があるのでは、と住職と掛け合いを見せたのですが・・・。

さて、秋のお彼岸にもお彼岸会法要をいたします。どうぞご参加ください!法要は短い時間です。お待ちしております。