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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

お祝いの言葉の交換

001_新命便り

お寒うございます、副住職です。
護寺会便りが、みなさんの手元に届く前には、寺族に読んでもらうというチェックがあります。誤字脱字、読みやすいか分かりやすいか。一般?の意見を聞くわけです。
さて今年、私はお嫁さんを迎えましたので、読んでもらっています。護寺会便りの内容について貴重なご意見をいただきました。
「大丈夫だよ、いいんだよ。〜してくださいね、という許可が多いような気がする」と。

大丈夫だよ、〜してもいいからね、と許可を与えるばかりでは、傍若無人・野放図でもいいんじゃないか、と思われても仕方がありません。勉強しなくてもいいんだよ、命を粗末にしてもいいんだよ、人を傷つけてもいいんだよ、という極論も許されるかに見えます。

そんなことはありません。「許し」は同時に、「誓い」も必要となります。この関係は、義務と権利の関係とは違います。

不安は誓わなくても良い

9月末、ブータンのティンレイ首相が、被災地・福島県相馬市の桜丘小学校を訪問しました。そして11月18日に、同じ地へ訪れたブータン国王夫妻。
「君たちは龍を見たことがありますか?私は見たことがあります。龍は私たち一人一人の中にいる。自分の経験を食べておおきくなるんだ。年を重ねれば、その龍は強くなる。自分の龍を大事にしないといけないよ」と、ブータン国王は小学生を、日本国民を励ましました。

3月の震災以後、現地の方々の心から溢れる思いは、如何ばかりかと思います。
そして、震災直後、日本全国において、テレビやラジオや新聞、悲惨な状況や、神妙な面持ちの人間ばかりの放送が続きました。日本に住む人々は、強い人間ばかりではないでしょうが、連日連夜ひどいんだひどいんだ、とだけ流されたら。
みんな無縁社会などネガティブキャンペーン好きな面はもうお腹いっぱいなはずでした。神妙な面持ちをしていなければ不謹慎だ、と暗に臭わすテレビやラジオや新聞。
みな不安なのです。この一言につきます。

自分は大丈夫、普通の精神状態、ちゃんと判断できている。・・・通常では起きないことが起きているのだから、みな不安になるのは当たり前です。
一呼吸を置こうとしても、テレビ・ラジオ・新聞の報道、余震がどんどん来ていました。そして、揺れは、外側からの揺れだけではありません。
気持ちの動揺は動揺を呼び、不安は不安を呼び、大きく育ちます。心が揺れると冷静さを失ってしまい、揺れを重ねてしまう。それは何故か?
揺れた後は、揺れる前よりも事態は複雑になってしまうから。どうしたらいいのかと選択肢が増えて、どうにもならないんじゃないかと固まってしまうからです。みずから困難に困難を重ねてしまう。難易度を上げてしまう。

我々は、経験という栄養を、不安という枝葉に伝える為、生きているわけではありません。自分という樹幹を育てたい。喜びの種をまきたい。
経験は知識のままならば、役に立ちません。歴史を繰り返す。不安から買いだめしてしまうし、ご飯が美味しいから食べ過ぎる。分かっちゃいるけど、やめられない。
その場その場で絶っていかなければなりません。一呼吸置く。それは、お茶を飲んでもいいし、深呼吸でもいいし、窓の外を見てもいい。ミスが続いていると思わなくてもいい。

年賀状も世相を色濃く

年賀状も震災仕様になっているとニュースで聞きました。
今年の年賀状は「寒中お見舞い」として出す。「一日も早い復興を心より祈念いたしております」などと災害や復興を気遣う文例にする。賀詞・祝詞や「お慶び」など祝いの言葉を使わない「年始状」と位置付けたデザイン。

情けは人のためならずという言葉があります。ひとこと、感謝のことばを言ってみれば、重い気持ちは軽く。暗い気持ちは明るくなるはずです。そして、心からの感謝の言葉となって、まわりめぐって、自分へと返ってきます。
あと1ヵ月で2011年も終わり、2012年となります。節電・自粛で喪中のようかと思えば、イルミネーションやクリスマスの飾りで町が彩られ、年末年始・お正月ムードにがらっと変わります。「旧年中はお世話になりました。今年も宜しくお願いします」と新年のあいさつ、お祝いのことばの交換です。
そのことばの交換の意味は、期待と現実との葛藤からです。不幸に対して強くあろうと、来年も良い年としようと。誓わずにはおられず、心から溢れる思いが形となっているのだと思います。幸せを、復興を、自身の心の平穏を誓ってください。
前後際断。忘前失後。3月のあなたは、3月のあなたの思い。今のあなたは、今のあなたの思いです。それ以上でも、それ以下でもない。
悲しみも、苦しみも伝播します。しかし、希望や幸福も伝播するのです。交換しましょう!

最後に

最後に、坂村真民さんの『バスのなかで』という詩を紹介します。

『バスのなかで』 坂村真民
この地球は一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を失わずに行こうと
涙ぐましいまで清められるものを感じた
いい匂いを放つまっ白い花であった

このような愛を、私たちは持っているのだと、失わずに行こうと。それぞれに、どこかに、夢も希望もあるのだと。
雨にも負けず、風にも負けず。どうぞ、よい年でありますよう、祈念申し上げます。
◎11月の最終日曜、本年も無事、ご祈祷と演芸会を終えることが出来ました。ありがとうございました。