web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

年内最後?の護寺会便り、鋭意制作中

12月1日号No.133を作っています。
いちおう出来はしたのですが、住職夫婦からダメ出し。やっぱりか・・・。
前半は、このブログで掲載した記事を、こねくりまわしたもの。
吠えてると、住職。たしかに。。。
こねくりまわした前半を、掲載します。ほぼ同じですが。
No.133では、違うものをお送りします。
正しい智慧〜一日作さざれば一日食らわず(一日不作一日不食) - たぜあた -web版陽岳寺護寺会便り-


先月号No.131で、タゴールの詩を紹介しました。

私は眠り夢見る、
生きることがよろこびだったらと。
私は目覚め気づく、
生きることは義務だと。
私は働く、すると、ごらん、
義務はよろこびだった。

生きること・義務・働くこととは?働く意味とは?
東京都最低賃金は時給837円。1時間働いたなら、1時間分のお給金がもらえるべきでしょう。
しかし、先が見えないけれど、とりあえず働いてください、お給料出しますから!と言われても、まっぴらなはずです。
もちろん自分たちや家族が生きていくためには、それしか方法がないという方々もいらっしゃるでしょう。

一生懸命働けば報われるなんて、だれが言ったのでしょうか?だれが決めたのでしょうか?

百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という僧侶がいて、彼は「一日作さざれば一日食らわず(一日不作一日不食)」と言いました。
高齢になっても百丈懐海は日々の作務をしていました。弟子たちはそんな高齢の師匠を見かねて、「働くのをやめてください」と言います。それでも聞き入れてくれないので、働くために必要な道具を隠してしまいます。
百丈懐海は作務をしようにも出来ません。なぜなら道具を弟子たちが隠してしまったのですから。
そしてその日、百丈懐海は食事をとりませんでした。
不思議に思った弟子たちは師匠に聞きました。なぜ食事を召し上がっていただけないのでしょうか、と。
百丈懐海が答えた言葉は、「一日作さざれば一日食らわず(一日不作一日不食)」でした。
今日という日は、食事をいただくのに値しない一日だった?労働の対価としての食事はいただけない?お給料分働いてないからご飯を食べさせていただくなんて?
この言葉の意味は、「働かざる者食うべからず」ではありません。

たとえ自分が何もしていなくても、「ポカポカ陽気のいい天気で、いい日だな」ということはあるでしょう。生きることは喜びであり、その喜びを確かめる作務ができなかった。しなかった。
百丈懐海にとっては、働くということは苦痛ではないし、食事の為でもありません。義務とも思わない、働くとも思わない、よろこびとも思わない。

働く意味は、なんでしょうか。それは、あると思っていた理由なんて、もともとない。

つづく・・・