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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

正しい智慧〜一日作さざれば一日食らわず(一日不作一日不食)

知恵じゃなくて、智慧です。


「正しい」の定義とは何か?智慧って何か?、スパッと言い切ることの出来ない自分がいます。
ブログやツイッターで、ひたすらに、つぶやく・ツイートする・記事を書く・まとめるなどなど・・・。一生懸命、自分で自分を「正しいことをしている」と自己肯定している訳ですが、やはり、むなしく思うこともあります。
立場によって「正しい」の定義は変わってくるでしょう。
9.11同時多発テロもそうだろうし、アラブの春、反格差デモ「ウォール街を占拠せよ(we are the 99%)」、反原発デモも、そう。
しかし、人間の尊厳を傷つけることはいけないことです。


本を本屋・Amazonで買いあさることも、公開講座に出かけることも、法要を行うことも、何のためでしょうか。・・理由なんて無いのでしょう。
世間や社会のために我々がいるのではなく、個人個人のために社会はある。あると思っていた理由なんて、もともと無い。
世間や社会は、単なる個人の集合ではないでしょう?
何者かでありたいという欲求は、前提を達磨落としのようにスッ飛ばされれば、霞のようなものであったと。自分はきっと何者にもなれないのだろうな、と漠然とした不安を持ちつつ日々を暮らしているのなら、「正解」を求めても求めても、雲をつかむようなもので。
自己啓発本とか、まとめサイトとか、ライフハックがどうのとか、「あぁ自分は間違っていた」と思うのは自分勝手です。それでも、振りまわされるばかりでは疲れます。
働かざる者食うべからず?なんですかそれは。一生懸命、自分で自分を「正しいことをしている」と自己肯定して何になるのでしょう。

私は眠り夢見る、
生きることがよろこびだったらと。
私は目覚め気づく、
生きることは義務だと。
私は働く、すると、ごらん、
義務はよろこびだった。

タゴールの詩ですが、生きること=義務=働くこと、とは。働くの意味は、なんでしょうか。
1時間働いたのだから、1時間分のお給金がもらえるべきでしょう、たしかに。
しかし、先が見えないけど、とりあえず働いてくださいよ、お給料出しますからと言われても、まっぴらなはずです。
もちろん自分たちや家族が生きていくためには、それしか方法がないという方々もいらっしゃるでしょう。


一生懸命働けば報われるなんて、だれが言ったのでしょうか?だれが決めたのでしょうか?「働かざる者食うべからず」とは、なんというエゴ。それでも、頑張ってしまう自分は空しいですね。

百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という僧侶がいて、彼は「一日作さざれば一日食らわず(一日不作一日不食)」と言いました。
高齢になっても百丈懐海は日々の作務をしていました。弟子たちは高齢の師匠を見かねて、「働くのをやめてください」と言います。それでも聞き入れないので、働くために必要な道具を隠してしまいます。
百丈懐海は作務をしようにも出来ません。そしてその日、百丈懐海は食事をとりませんでした。
不思議に思った弟子たちは師匠に聞きました。なぜ食事を召し上がっていただけないのでしょうか、と。
百丈懐海が答えた言葉は、「一日作さざれば一日食らわず(一日不作一日不食)」でした。

食事をするのに値しない一日だったというのは、労働の対価としての食事はいただけないよ!お給料分働いてないからご飯を食べさせていただくなんてオコガマシイ!・・というわけではない。
たとえ自分が何もしていなくても、「ポカポカ陽気のいい天気で、いい日だな〜」ということはあるでしょう。生きることは喜びで、その喜びを確かめる作務をできなかった。しなかった。
作務は苦痛ではないし、食事のために労働しているわけではない。
働くの意味は、なんでしょうか。それは、あると思っていた理由なんて、もともとない。