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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

平成28年11月号 花園&陽岳寺護寺会便り、発送しました

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平成28年11月号花園&陽岳寺護寺会便りを発送しました。郵便局の集荷の方に引き渡し、お願いしました。
今回は副住職作です。

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ご感想はブログにでも、メールにでも。

【告知】禅~心をかたちに~

  • 期間:平成28年10月18日(火)~11月27日(日)
  • 場所:東京国立博物館 平成館

zen.exhn.jp
陽岳寺臨済宗という宗派に属するお寺です。臨済宗臨済とは、臨済義玄というお坊さんから取られています。今年は、宗祖 臨済禅師が亡くなられて1150年目であります。そして来年は、鎌倉時代から続く臨済宗を江戸時代に復興させた白隠慧鶴禅師が亡くなられて250年。このふたつの節目を記念し、上野の国立博物館にて展覧会が行われます。
禅にまつわる国宝と重要文化財が日本中から集結。11月7日の休館日を境に展示替えもありますので、2度楽しむことが出来ます。
さらに、期間中に催されるイベント(講演会、尺八コンサート、お坊さんによる四ツ頭茶会という儀式の再現、辻説法や写経など)も。どうぞ足をお運びください。
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【コラム】温故知新

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【コラム】温故知新

陽岳寺が創建され、あと二十年ほどで四百年となります。四百年という歴史は、お寺を支えてくださる方々と歴代和尚の努力のたまものです。
歴史というものを「歩み」と捉えてみれば、今までの歩みの先にある「これからの道・ありたい姿」が自然と見えてきそうです。
陽岳寺の最寄り駅として門前仲町駅がありますが、門前とはお寺の門のこと。江戸時代以降、深川にはたくさんのお寺ができました。それはなぜかと歴史をひもとけば、江戸城から見て川向こうである深川、その海側には土地が余っており、新築・移転が行われたからだそうです。
江戸時代の火事や、人口増加により、人間の住む場所をつくらなければならない。場所をとる寺院はお江戸の端へと追いやられたのでした。
そんな中、陽岳寺は、ほぼ現在の場所に創建されました。大正の震災で陽岳寺の伽藍は焼けてしまいます。その後の区画整理によって現在の交差点に場所を移します。それ以降、陽岳寺はこの交差点から深川の町を見守っております。
深川の町は、先の大戦の戦火に包まれましたが、本堂は焼け残りました。震災後に建立し、いま皆さんがお参りいただいている本堂が鉄骨鉄筋コンクリート造と、当時現地では珍しく立派な造りであったためでありましょう。おかげさまで一命を取り留めた、というお話も聞いたことがございます。本堂の天井や梁が黒いのは、火がはいったためだそうです。
しかし、商店街などは焼けてしまいました。震災以後の区画整理で越してきた人々のなかで、疎開から帰ってきても深川に住み続けている人は多くありません。
昔からずっと同じ地域に住む人が少ないのは、どこの町でも同じなようです。しかしそれも道理で、歴史を見れば、先祖代々同じ地域に住んでいるということは有り難いことでありましょう。
人とは元来、根無し草。自由に柔軟な根無し草な人間としては、歴史は重みとなり、地に足をつけてくれるもの。
ただ、歴史にこだわりすぎると、根を張りすぎた結果、自分を客観的に見ることができなくなるかもしれません。
温故知新とは、古きをすべて正しいと鵜呑みにすることではないようです。陽岳寺では、平成より住職の工夫により、臨済宗の法式に則り、お経と日本語(現代語)での法要にてお勤めをいたしております。古式にこだわらず、仏教の歴史に敬意をもち、自由に柔軟な発想でいまの形ができあがりました。今までの歴史が、これからのすべてを決めるわけではありません。ルーツのひとつとして、敬い、畏れ、学び、いまに活かす。
ご縁のある方にとって、これからも陽岳寺が無くてはならない、あって良かったと言っていただけるような存在にし続けていきたいと強く思います。

【コラム】しつけ

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【コラム】しつけ

成長の早い遅いはあるものの、はやく子どもと意思の疎通を取りたいものだと思ってしまうものです。ことばや動作を真似るようになり、こちらが「おいで」と手を広げれば近づいてくるようにもなりました。日々、彼の成長を感じています。
しつけの問題。先日、いけないことはいけないのだ、とマジメな顔で言い聞かせることがありました。今までの彼は理解もできませんから笑って過ごしていましたが、この前のことです、泣いてしまいました。
なぜ泣いたのか。彼自身怒られたと理解したから、というわけではないと思います。いつもと違うこわい親の顔のせいか、雰囲気のせいか。
怒る(感情にまかせて意見を押しつける)と叱る(理性的に説き伝える)には違いがあるといいますが、子どもにとっても、親にとっても、試練です。
子どもにとっての試練とは、自立に必要な力のために、よく遊び、よく学ぶこと。
親にとっての試練とは、子どもを自分の満足をみたすための道具としないよう気をつけること。
叱られても大丈夫だ、と信頼できる大人との関係性をしっかり育むためには、乳児期が肝心だそうです。これから大きくなって、積極的・自主的に興味をもったものへ取り組み、より挑戦できるよう学びを重ねていく。子育てはなるようになるとしても、成人への道のりはまだまだ。そんな遠い道のりも、信頼できる大人として、ぶれない行動をし続けることが一歩一歩となるはずと信じ、親業を続けていこうと思います。