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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

【コラム】五つの戒め

【コラム】五つの戒め

 因果なもの・・・めぐりあわせの悪い様子を言いますが、そんな世間を渡る助けに「五つの戒め」はいかがでしょうか。
連日悲しい事件が報道されています。どうしてこんなことが・・・と不思議に思ってしまうのは、「この私と何の違いもない同じ人間なのに」という前提があってのこと。そして同時に「あの人は私とは違う」とも思うものですが、はたしてどちらが本当か。

 仏教の世界観のひとつ、因果。原因と結果をまとめて因果となりますが、因果にも様々な種類があることをご存じでしょうか。
 大まかにいうと、2種類あるのだそうです。ひとつ、原因が先にあり結果が後からやってくるもの。ふたつ、原因と結果が同時に起こるもの。
後者、因果が同時に起こることとしては、心と心の作用がいえます。心の状態と、その心に働きかける感情などは、ほぼ同じ瞬間、つまり同時に生まれるでしょう。
また、よく言われる因果は前者のうちのひとつである「あれをしたから(原因)、これがある(結果)」です。ある行為をした後、いくばくかの時を経て、わたしたちの目の前に結果として起こる(かもしれない)。そこから仏門では、善因楽果・悪因苦果として、善いことをすれば楽しい気持ちになるし悪いことをすれば苦しいのですよと申します。
しかし、これ以外にも因果の関係はございます。
 たとえば、セミと太陽。夏になればセミは土より出でて鳴いていますが、セミと太陽の間にはどのような因果があるのでしょうか。それは「お互いの邪魔がない」という因果です。セミは太陽がさんさんと陽をさすことを邪魔しませんし、太陽もセミが鳴くことを遮りません。そんなことを言ったら、すべての事物がお互いに因果を持っていることになるではないか。・・・そのとおりです。私がこうして生きているのは、全世界のあらゆるものが関わっている、というわけです。
 
 原因と結果。良いことと悪いことの行為があり、時を経て、結果として目の前に表れる。因果応報とは、自分の行為を引き受けることの大切さを説く言葉です。
ここで気をつけたいことは、「あれをしたから、これがある」行為の結果が、そのまま次の原因となる、とは認めていないことです。
たとえば犯罪の結果捕まり刑務所へ、そして出所。その犯罪→逮捕→収監→入所→出所という結果が再び犯罪をする原因となる論理を仏教はとりません。
 と同時に、信じられないかもしれませんが、原因と、結果が出るまでの時間が整えば、私たち全員に犯罪をする可能性はあるとも言えます。もちろん私とは純真無垢で本来清浄であるという仏心に気づくこともできます。 
原因と時間という条件が整えば、いまここの現在に、とある結果が起こるという仏教の見方。
なればこそ、悪事をしないようにと常に思っていることに、意味を見いだすことはできないでしょうか。

  1. 不殺生戒:自分も他も、生き物でなくても、身も心も、なにごとも傷つけない傷つかせない。
  2. 不偸盗戒:ものも想いも盗みとらない。自身の正しい想いを奪わせない。
  3. 不邪淫戒:不適切な性関係を結ばないように学び、備える。
  4. 不妄語戒:身体・口・こころで、偽りの言葉を持たない。
  5. 不飲酒戒:酩酊して前後不覚に陥らぬよう、酒におぼれないこと。酒がはいると正常な判断はできないと重々承知すること。

 ご葬儀のときにもお話しますが、五つの戒めというものがございます。もしも、この五つの戒めを信じて、心に留め置くことをしていたならば、どのような原因と時間という条件が整ったとしても、思いとどまることができる。
 ある人はこう言うかもしれません。「机上の空論である。戦時下や、切羽詰まった状況では、どのように転ぶか分からないだろう。」
 そうかもしれません。理知のみで人は生きていくことなどできません。しかし、信じなければならない。仏教であれば仏さまの慈悲が、キリスト教であれば神の愛が、隅々まで渡っているのだと。そして私たち一人ひとりが良いことをする・輝くことで、さらに隅々まで良い世界が広がるのだと。仏心はだれにでもあり、なんの因果か分からないまま起きた結果に脅かされたとしても、これからの悪縁は断ち切ることができるということ。
 悪いことをした人も、善いことをした人も、私と同じ人です。理解できないことを私だってするでしょう。なればこそ「軽い気持ち」や「魔が差す」ことは誰にでもあると知っておきたい。「軽い気持ち」を安定させる、こころの隙間へ「魔が差す」とき我に返ることのできる何かとして、この五つの戒めは現代人にも通じるのではと思います。
 「最大の悲劇は悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である」とは、とある牧師の言葉です。間違っている因果、犯人についての偏った差別を前提とした報道を、暗黙することも五つの戒めに触れます。
 先ほど、すべての事物がお互いに依っている、私がこうして生きているのは全世界のあらゆるものが関わっていると学びました。
 まずはこの私が、親として人として、善いことは善い、ダメなことはダメだと、五つの戒めを保ち続けることのできる人でありたい。そう思います。