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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

【コラム】助言するように

001_新命便り

涼しい季節が待ち遠しい昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
熱中症日射病・熱射病など)にはどうかお気を付けてお過ごしください。
朝起きてみると汗ビッショリ・・・あなたは熱射病予備軍です。ノドが渇いている時点で、すでに水分は足りていません。こまめに水分をとって、室内・体内の温度に気をつけましょう。身体ご自愛ください。
http://www.flickr.com/photos/28145073@N08/15571689310
photo by Moyan_Brenn

【コラム】助言するように

とあるお坊さんが、駅のホームで電車を待っているとき、ひとりの学生に質問されたそうです。「自分というものがわからない。自分とはいったい何でしょうか?」と。
すぐに電車も来てしまうだろうから、学生になぜそのようなことを悩んでいるのか聞き返すこともできない。そのような状況で、そのお坊さんは、次のようなことをお答えになりました。
「なるほど。自分とはいったい何か分からないのだね。そうか、ではこうしてごらん。あなたはこれから、何も考えずに、誰かのために一生懸命になって働いてみてください。自分にとって損か得かなど考えず、とにかく私心なく誰かのために何かをやって差し上げてごらんなさい。それで、ああ良かったな、嬉しいなと感じる気持ちがあったとき、自分とは何か・・・分かるかもしれないぞ」と。・・・
このお話しは妙心寺の住職であった山田無文老師の逸話のひとつです。修行道場にいたときにも、よく聞かされました(十一月の祈祷会にて頒布予定「いろはにほへと3」にも収録されています)。

いろはにほへと (鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より(三))

いろはにほへと (鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より(三))

このとき老師は時間のない中で、学生の悩んでいるこころを解き放つことを考えました。
想像ですが、老師はこのように言うことも考えたかもしれません。
「仏教的にこの世の中を鑑みれば、諸行無常である。すべてのものはうつりかわりゆく。移り変わっていくのだ、ということは学生さん、あなたの悩みは無駄である・・・ということではない。
悩みに悩みを積み重ね、苦しむためでもない。過去や未来に縛られすぎないように、今を歩くための地盤をつくる材料にしなさい。やってしまった取りかえしのつかないことも、やらなかった後悔も、その色に染まらないよう、しっかりと踏みしめ、新しい今を歩きなさい。
諸行無常とは、いつまでも自分の願いや思いに囚われること等、そもそも私たち生き物には出来ない、という救いなのだ」と。・・・
丁寧にその学生とお話しをすることも出来たかもしれませんが、長い話は頭に残りませんし、問題解決のためには短く簡単で分かりやすいことの方がよいと判断されたのかもしれません。
そして老師は学生に、クヨクヨ悩んでいるのではなく、利他(他人を助ける)をすすめます。
自分のことばかりに悩む時期も大切ではあるが、動かなくては何にもならない。そのような心持ちはひとまず脇に置いておいて、行動してみよ。自己実現がどうのとクヨクヨ悩んでいる必要はそもそも無いのだと、学生が深い部分で理解することを促したのでした。

利他(他人を助ける)/助言するように、の視点

老師は行動のひとつとして、利他をすすめました。
それはなぜかというと・・・自分自身を大局的に観察できるようになるからです。
他人のことを自分のことと思って行動することは、冷静な判断が求められます。えてして人は渦中にいるとまわりを見ることができません。そんな時、クヨクヨ悩む必要がなく、大局的に見つめることができる第三の視点は助けになります。そして第三者は気がつくでしょう、・・・なぜこの人は悩みが悩みを誘っている事実に気づかないのだろう、悩む必要などないことが分からないのだろう・・・、待てよ、同じようなことを自分もまわりから思われているのではないか。自分とは何か悩んでいた、あの悩みはなんだったのか・・・。こうして、冷静になって、自分を全体的に見ることができる。


人生は、選択の連続です。
朝、起きる:あと5分寝るか?
お手洗いに行く:立つか座るか?
顔を洗う:どんな順番で?
ご飯をつくって食べる:パンかご飯か?
右記のような毎日の繰り返しは標準化された選択をしているので悩みはしません。
しかし、大きな買い物、病気やケガなど、自身の生活が変わってしまう選択をせまられたとき。私たちはどうすればいいか悩んでしまうでしょう。
自分の人生を振り返り、いままで行ってきた論理で選択するのでしょうか。今までにない人生の選択は、今までの人生を糧に選択することは出来ません。ではどうすれば?
このようなときにも、利他(他人を助ける)の視点が助けになります。
「あなたではなく、友人に起こったことだと考えてみる。その上で、その友人にもし助言をするとしたら・・・どうするか」
自分のことは脇に置いて、親しい人を助けるのだと思って行動するなら、どのような選択をするか。利他の視点が、自分を冷静に包括的に眺めることとなっていないでしょうか。
自分が自分がという想いを離れて、世間の無常をよくよく噛みしめた目。
仏の法(教え)の目を持つものを仏さまと言うのですが、まさにこの利他のこころと目を持つものとは、仏さまです。


陽岳寺のご本尊は、十一面観世音菩薩です。
『菩薩』とは、成仏をめざす途中にいて、人々と共に歩み、教えへと導く仏さま。
『観音』さまは自分の成仏をおいてでも、みんなと一緒にいたい、という願いを持っています。『世』の人々の『音』声を『観』じて、その苦悩から救済する菩薩。ゆえに『観世音』。智慧をもって『観』ることにより自由自在の力を得、救済する菩薩です。
観音さまは対面するものに応じて姿を変えるといわれています。そのお姿のひとつが、十一の顔を持った十一面観世音菩薩です。人も同様に多くの顔を持っているものです。怒った顔、笑った顔、悲しい顔、そして仏の顔。
観音さまは、その人の想い・置かれた場所・悩み・悲喜こもごも。それぞれに姿形を変え、言葉を変え、見守り、語りかけてきます。
世界の音を観ずる。自分が自分がという想いなく、自分が利他しなければ・・・。

自ら悪をなさば自ら汚れ、
自ら悪をなさざれば自らが浄し、
浄きも浄からざるも自らのことなり、
他者に依りて浄むること得ず。(法句経)

クヨクヨと悩んでいたあの学生は救われたでしょうか。
まわりの人たちに安らぎを与えることは、そのまま自分自身も安らぎを感じることにもなるのでしょう。利他の視点と行為によって、私心を離れ、悩みから自由になることができるのですから。(副住職)
◎墓地工事中です。お墓参りをされる際、お気を付け下さい。ご迷惑を掛け致します。
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