web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

【コラム】陽岳寺と菩薩たちと私たちの因縁

【コラム】陽岳寺と菩薩たちと私たちの因縁

弥勒菩薩(みろくぼさつ)は56億7千万年後にあらわれる仏さまである・・・と言われています。
弥勒菩薩とは遠い未来の仏さま、未来仏。広隆寺弥勒菩薩半跏思惟坐像が有名です。
http://www.flickr.com/photos/29560509@N07/4989494290
photo by George Jisho Robertson

「川のながれのように」という歌謡曲がありますけれども、未来・現在・過去を川にたとえてみることが出来ます。水のながれを時のながれと見たてるのです。
川にかかる橋を現在とし、上流を未来、下流を過去とします。時は過去に流れる。
そしてさらに考えます。上流の未来にいるのが弥勒菩薩であるならば、下流の過去にいるのは観音菩薩ではないかと。
すべてが流れ去る海とは、すべてを受け入れる海とも言えます。過去にはすべてがある。人生や姿の想い出の集積です。
そんな種々の様相や想い出はわたしたちを懐かしくしたり、励ましたりするわけですが・・・不思議なものです。たった一人のことなのに、いろいろな顔や姿となってしまうと、まるで一人のことではないようです。
まるで観音菩薩
観音菩薩には色々なお姿がいらっしゃいます。相手によって姿かたちを変えるのです。思いやりのこころが、いろいろな観音菩薩自身の姿かたちとして現してくださる。
たとえば陽岳寺の本尊は十一面観世音菩薩です。如意輪観音陽岳寺の墓地にもいらっしゃいます。また馬頭観音、千手観音、准胝観音など。どのような姿であらわれようとも観音菩薩観音菩薩です。そのやさしさたるや。すべてを受け入れる海は、観音菩薩の慈悲を象徴としています。


川は海へと通じていますが、海が蒸発して雲となり雨となり山へふりそそぐと、また川となって海へ流れ込みます。
海から見えない水蒸気という雲となり、雨つぶに形を変えて山へとふりそそぐ。
想い出がわたしたちを励ますことは、過去が形を変えてわたしたちのもとへと帰ってくることに似ています。未来の目標ともなることを考えれば、なおさらです。
ただ・・・思い出してみれば過去は現在によみがえり、想像してみれば未来は現在にあらわれます。上流の川も、下流の川も、海も、すべてつながっています。川にかかる橋や岸から見れば、流れがあるのみ。
過去と現在と未来・・・3つを分けてみれば違うものですが、水の循環のように本質はひとつです。これは禅の考え方です。


さて陽岳寺のある深川は川のまちです。
陽岳寺は、江戸時代より深川というまち・ひとが育っていく変遷を見てきました。
もうひとつ、陽岳寺が見てきたもの。それは陽岳寺を支えて下さっている方々。大変なときには支え合うものです。
これからも檀信徒の皆さんと支え合いたい。遠い未来であろうと、近い現在であろうと、先にいった親しい人であろうとです。
過去となってしまった人々を未来の存在として捉え直すために、菩薩の力をかりてみたい。菩薩とは修行者、行いを修める者。じつは私たちと何も変わらない存在です。
陽岳寺と菩薩たちと私たちとの間には因縁があるのだと。未来仏・現在仏・過去仏思想や信仰から考えてみました。