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下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

【コラム】あなたが好き

【コラム】あなたが好き

2011年3月11日、東日本大震災が起こります。その後テレビでは民放のコマーシャルにおいて、ある詩が流れていました。何度も。

「こころ」は
だれにも見えないけれども
「こころづかい」は
見える
「思い」は
見えないけれど
「思いやり」は
だれにでも見える

作詞家・詩人の宮澤章二さん作です。
たしかに、「こころづかい」「思いやり」は見えるものです。席をゆずる、すれちがうときに傘を傾ける、歩くはやさを合わせる、など。
つぎに「こころ」「思い」は見えないものです。席をゆずろうかなどうしようかな?、向こうから来る人の傘大きいな、つらそうだから歩幅小さくしてゆっくりにしようか、など。
でも、じつは一人だけその「こころ」「思い」を見ている人がいると思うのです。
それは、「こころ」「思い」を持っている自分。自分だけが自分のこころを深く見つめることができます。
ところが、そんな自分だけに見える「こころ」「思い」が相手にも見える言葉があります。
その言葉とは、「あなたが好き」。
「あなたが嫌い」も「こころ」「思い」が見える言葉ですが、相手に自分のこころを見つめることを許しません。
「あなたが好き」とは、見つめられることを受け入れる言葉。
相手のこころを深く見つめることができるのも、わたしたち。そのためには相手の視点になって考えることがのぞまれます。
「わたしがわたしであること」を自分で見つめることができれば、相手も同じように「わたしがわたしであること」を考えていることに気付くはず。
するとお互いを尊重しあうことになる。相手の「わたしがわたしであること」を否定できないのですから、「あなたがあなたであること」に価値を見出すこととなります。相手は「かけがえのない存在」なのだと。社会的な価値観など関係ないことです。
それはつまり、ただ隣にいる人が、自分にとって「かけがえのない存在」であることにもなっていく。誰であろうと、です。
親が子を愛することに取引や条件はありません。ただそこに存在すること以上に理由はないはずです。だからこそ「あなたが好き」と子どもに言う。そして、この親と子の関係性は、他人との関係性に置き換えることもできる。
他人との関係性は社会的な価値観によることが多いかもしれません。たとえば、店員と客、先生と生徒、隣人とわたし。
でもその土台には、まず一人の人間としての認識がある。店員と客のまえに一人の人間。先生と生徒のまえに同じ人間。
代替不可能で、誰にとってもかけがえのない存在だという発表。その最たる発言として「あなたが好き」があるのだと思います。
「あなたが好き」とは、自分だけに見える「こころ」「思い」が相手にも見える言葉です。
あなたが私のことを尊いと思うように、私もあなたのことを尊いと思う。社会の価値観が常に移り変わろうとも、ある意味絶対に変わることのない価値観があるんだという言葉が「あなたが好き」だと考えてみたのですが。