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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

物語を信じる

【コラム】物語を信じる

十一月最終日曜日のご祈祷と演芸会。先月二十四日、無事円成いたしました。参加されました、関心を寄せていただいた皆様のおかげです。ありがとうございました。
ご祈祷の会を始めるにあたり、すこしだけ挨拶をいたしました。

“わたし副住職は修行道場から帰ってきて四年目になる。四年目と言えば、言われたことが出来て、言われなくても出来る・・くらいでしょうか。やっと五月のお施餓鬼や十一月のご祈祷の「意味」が分かってきたように思う。
参加されている皆さん、それぞれに意味を持っていると思います。どうか教えていただきたい、その意味を私たちで共有しましょう”と。

そして当日、わたしの思う「意味」をすこしだけですが語りました。以下はその内容です。
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ほんとうに大切なものは目にみえない。しかしほんとうに大切なものは、同時に、この目の前に広がっている、この不思議。この不思議をよく見ろと、古人の禅師たちは時を超えて現代の私たちに叫んでいます。
目に見えないけれども目の前にある、ほんとうに大切なものとは何でしょうか?それは、思いやりであり、心の純粋さであり、勇気であり、友情であり、信頼であり、畏敬や感謝であり、今日の集まりであり、愛です。
物語を読むときの約束が一つだけあるとすれば、それは「すべて本当にあったことだ」と信じることです。疑うことは簡単ですが、そこでおしまいになる。わたしたちが興味を持って、身を乗り出し、耳を傾けたならば、その物語の美しさ・豊かさを味わうことができる。
その物語を信じようと決意したとき、わたしたちの目に見えないものが見えてくる。ほんとうに大切なものが見えてくるのだと思います。
今日はご祈祷の会。目を閉じ、うつむき、手を合わせる。ひとは神や仏に祈り願う生きものです。祈り願うとは、物語を信じることと言えないでしょうか?どうか聞いてほしい信じてほしい、私の物語であるこの祈り、この願いを!と。では、誰がその祈りや願いを聞いているか?
・・それは、わたしたち自身が聞いている。
祈りや願いの本当の意味は、私たち自身が、みずから聞かなければならないということです。「すべて本当にあったことだ」と信じる。その事実に気付いたとき。ほんとうに大切なものは、すでにもともとあって、わたしたちのまわりに満ちあふれていることにも気付くはずです。
わたしたちが、これがほんとうに大切なものだと、その気付いた事実はたった一つでもいいのです。たとえば思いやり、心の純粋さ、勇気、友情、信頼、畏敬や感謝、今日の集まり、そして愛。一つでも、ほんとうに大切なものに気付いたならば、包むまわりの世界までもが輝き始めるはずですから。
利己的な存在である私たち。それでも誰かを愛するようになると、目に見えないところで自分という輪郭が広がります。私という物語が、まわりの物語へと広がっていくこととなる。「すべて本当にあったことだ」と信じることは、自分という殻を破ることで、人間の成長といえるでしょう。
愛する人がいることを仏教では縁という。今日のこの集まりの縁を大切にしたいと思います。(以上ここまで)

「物語を信じる」、言葉をかえれば、受け入れる・ありのままに見つめる、と言えます。
うれしいとき、悲しいとき、もうひとふんばりしたいとき、人生とは悲喜こもごもの物語。自分の人生を歩んでいるか?ご祈祷は自分と向き合うことを、わたしたちに勧めています。

◎ご祈祷会にて祈願した御札と、来年の年回忌のお知らせを、後日郵送します。

平成25年度ご祈祷と演芸会 無事円成 - web版 陽岳寺護寺会便り