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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

代えがたいもの

001_新命便り

【コラム】代えがたいもの

わたしがお話ししたいことは二つです。ひとつ、お寺に来たらお寺の者と話をしてほしい。ひとつ、それとともに、となりの人とも話をしてみてほしい・・ということです。
ご祈祷と演芸会は、陽岳寺が大切に思っている年中行事です。ではなぜお寺として大切に思っているか?
法要も大切です。でもそれだけではありません。なによりの理由は、私たちお寺に集まる人々が交流できるからです。
親子やきょうだいとは家族という集団で見れば一心同体です。しかし、血のつながりはあるけれども、他人は他人。家族ではありますが。
家族とは他人の集まる場と考えてみたのですけれども、お寺も他人の集まる場です。みんな仲良く並んでいますよね、・・お墓のことです。
お墓のなかの亡くなった人だけではありません。生きている人、私たちについても同じです。
お施餓鬼もご祈祷も、本堂に集まって、となりの人の肩を気にするだけの時間ではない。その工夫はお寺の責任ですが(すみません!)、一緒に考えていただきたいとも思うのです。
お寺が年中行事を大切に思うことができるのは、他人の集まる場としての可能性があるから。
家族のかたちとは何でしょうか?血縁もありますが、ほかの理由付けができるはずです。
同じ空気を吸い、同じ釜の飯を食べ、同じニオイをかいで、同じまわりの音を聞いて、と。
家族とは、同じなにかを共有している人たち・・と考えてみました。そして、その経験は何よりも代えがたいもの、かけがえのないもの。まさに“有り難い”ものです
その家族と同じことが「わたしたち(檀信徒)」にも言えると思うんです。
袖振り合うも多生の縁。お寺の年中行事に毎年参加できる方、できない方がいらっしゃいます。僧侶・お寺のものも含めて、「わたしたち(檀信徒)」です。
お金で買えないものを育んでほしい、楽しんでほしい。
私たちがふだん生活のなかで自然と重きを置いていることとは「人間(ジンカン)」。人との間、関係性です。人と人との関係の中に、人は育まれている。
わたしも、育てていただいていると日々感じます。お坊さんとして、人間として。
お彼岸や盆暮れ正月、月命日、なんでもない日の墓参。そして、十一月二十四日のご祈祷と演芸会のとき。
となりに座った方と、どうぞお話しなさってみてください。
寒くなってきましたね。どこから来ましたか?いつも来るんですか?お施餓鬼に来たことありますか?落語もいいけど、こういうの聞いてみたいですね。ちょっと言ってみましょうか。あなたどう思います?
十一月のご祈祷と演芸会とは、本年への感謝と、来年の無事とご多幸を祈念しての法要です。
みんなで祈り、願うとは日常に無いことです。良い会にしたいと思っています。(副住職)