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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

盂蘭盆経~目蓮尊者の伝説

いま日本でのお盆のおこりは、「盂蘭盆経」というお経です。このお経から、「縁」「恩」という現実的な考え方を私たちは得ることができる。そう私は思っています。

ナザレのイエスに12人の使徒(高弟)がいるように、お釈迦さまにも10人の弟子(十大弟子)がいらっしゃいました。そのうちの一人、目蓮尊者に注目したのがこのお経。
登場人物は、三人。目蓮尊者、(目蓮尊者の)亡きお母さん、お釈迦樣です。
夏の修行中、目蓮尊者は「神通力」が身についたことに気付きます。
そして、神通力の一つ。「天眼通」という真理を見通す目で、死んでしまったけれども、いま自分の母親はどうしているのかを見ることになります。
すると・・亡き母親は餓鬼道に堕ちていたのでした。
「天眼通」とは真理を見通す目のことですから、なぜ母親が餓鬼になっているのかも分かります(餓鬼とは、いつもお腹ペコペコの鬼のこと。だけれども、食べ物を食べたくても手に取ると燃えてしまう、水を飲んでも砂になる等、求めても手に入らない状態)。
その理由はなんだったのか?お母さんが目蓮尊者のことを大切に思ったがために、慳貪(けんどん・物を惜しんでむさぼること)の行為をしていたから・・なのでした。
たとえば・・他人の子どものことまで考えがおよばず、自分の子どもの健康だけを考える。成長するにつれ、小学校・中学校・高校・大学と良いところへ入ってほしいと思い、他人の子どもを排してでも、無視してでもと、必死の努力をする。しあわせな結婚をしてほしい、安泰な会社に就職してほしいと、一生懸命に願う。
普通の母、健全な母のすがたに見えますが・・仏教ではひとつの慳貪の姿と見ます。
目蓮尊者は「神通力」を持っていますから、なんとかお母さんを助けようとします。
でも自力で助けることができません。そこで目蓮尊者はお釈迦樣に相談します。母を救うためにはどうすればよろしいでしょうか?・・するとお釈迦樣は、
『7月15日、夏の修行の最後の日。すべての修行僧に施し(もてなし)をすれば、母にも先祖にもみんなにもその施しは届くであろう』と答えました。
目蓮尊者は願いをおこし、施しをすることで、修行僧たちによって母を救ってもらうことができたのでした。・・めでたしめでたし。

このお話しには色々な教訓を見ることができそうです。
ひとつ目、亡きお母さんが餓鬼になっている設定。ちょっとあり得ない話ですが(死後の世界は不識、分からないものですから)、『もしかしたらそうなっているかもしれない』という想像力を持て!と私たちにすすめます。
ふたつ目、本人が気付いている・気付いていないに関わらず、やったことの結果はすぐか・いつか分からないが、なんらかの形となって出る。
みっつ目、自分以外の人・これからの人間に、わたしたちは頼む・たよることが出来る。
よっつ目、同時にたよらざる得ないし、たよることへの感謝・敬いの気持ちの大切さ。
そして、この伝説の底辺にある言葉が「恩」「縁」です。親がわたしのためにしてくれたことへの「恩」、親・わたし・これからの人という「縁」。
仏教は「関係」という視点でものごとを見ていきます。私とまわりには色々な「関係」がある。「関係ない」という「関係」もあるでしょう。それが「縁」です。
「恩」とは、“今につながる「縁」について考えること”。
「命があって当たり前」「金はらってるんだから良いだろう」という考えかたは関係そのものを否定するもの。今につながる「縁」を考えていないようです。
「関係ない」という関係性まで大切にする、縁を大切にすること。それが「恩」です。
「関係」という視点にたつと、「ある・ない」という境界の不思議さに気付きます。本来はグラデーションであることに“便宜上”区切りをつけている不思議さに、です。
ふだんの生活のなかでは気付きにくいことです。“便宜上”の区切りが本物の区切りになっている。そこで特別に意識する期間を設けたひとつが、お盆なのではないかと。「ご先祖様が帰ってくる」「関係ない人のことも考える」・・関係あるないの超越、という現実的な考え方を得る“ゆたかさ”がお盆です。
仏壇は仏さまと、私達と「関係がある」ひとたちを祀ります。精霊棚は私達とは「関係がない」ひとたちを祀ります。“ゆたかさ”がかたちとなって私達の前に現された姿です。
また、このお経のポイントのひとつは、“ゆたかさ”を得る方法を具体的に教えてくれていることです。それは・・目蓮尊者が修行僧(これからの人たち・自分の子どもでもない人たち)に施しをしているところ。わたしたちは「だれかから受け取った恩を」「誰かに(その恩を)送る」ことが出来る、ということです。
かといって、自分が恩を受けたかどうか気付かないこともあるでしょう。だれかに恩を送ることが出来ないことも。恩のバトンを受け取ったときにどうするか悩むこともある。
そんなとき、まったく同じことを、相手に返さなくてもいいようです。ぜんぜん違うことを、ぜんぜん違う相手にパスすることも恩を送ることになるはずです。
『受けるより与える方が幸いである』これはナザレのイエスが発した言葉として、使徒パウロ登場の近辺で出てくる言葉です。さらに言えば、「与えることによって、なぐさめを得る」「与えることとは許すこと、なぐさめとは出番のことである」。
恩を送る、与える。すると、なぐさめを得ることができる。与えることが、させてもらったという出番になる。あらたな関係をつくることができた喜びが、なぐさめである。
お盆とは「縁」「恩」の結晶です。私達の出番によってお盆は風情や季節感のたまものとなるのでしょう。でもそうなると、もしかしたらみんなが出番を発揮しない(実家に帰らない等)とお盆そのものやお盆休みはなくなってしまうかもしれませんね。(副住職)

◎夏は暑いものです。熱中症・脱水症状に気をつけてください。冷房、こまめな水分補給、スタミナ料理。頑張ることも大切ですが、無理をしないことも大切です。
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