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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

お盆に思う−「突然である」

だれにでも訪れ、避けることも出来ないし、何かしらの原因があって至り、そして至ったならば戻ることもできない。
この四つは『死』の概念です。
「突然である」ことは入りません。なぜなら、それは主観だからです。


明日はお盆の入りの日です。その前から、お盆にはお参りできないからと墓参される方々がいらっしゃいます。
ある方が親御さんにこう言われたそうです。
「何が起こるかわからないのだから、行けるときに行っておきなさい」と。
西日本は大変な雨だそうですし、たしかになぁと思いました。


最近で言えば、上野動物園のパンダでしょうか。
パンダの妊娠が分かり、ついに生まれたとニュースになりました。母親は育児放棄をせずにお乳をあげているとも。妊娠出産のために休止されていた公開は半年後くらいでしょうか、とワイドショーや新聞をにぎわせていました。
外でワイワイと勝手な期待を持っていた我々としては、まさかのことでした。


今日お盆の読経から戻ると、通夜葬儀の出仕依頼がありました。日程は15・16日。お盆の明けの日とその前日でした。
この忙しいお盆の期間に・・・というのは私の勝手な思いです。
思えば昨年も15・16日と通夜葬儀の出かけたのでした。それなのにもう忘れていたという・・。


遺族にとっても、私にとっても、「突然」という意味を付すのは何故でしょうか。
『死』とは、期待する未来が失われることの確約です。
喪失を認めたくない気持ち。なんとかして抑えつけるための理由として「突然」と意味を付すのかもしれません。


ただ「突然」という思いを晴らしたとしても、
「まだまだ足りないぞ。お前はもっと『死』について考えろ。」
とのメッセージの気付きになるだけですが。
そして更に、レッテル・意味を晴らして晴らして、晴らすだけなのです。