web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

ダイバーシティとサステナビリティ

カタカナだと分からない言葉ありますよね。私にとって、「ダイバーシティ社会」はその一つでした。
ある本に書いてあったので、すこし考えてみます。
ダイバーシティ社会」とは、「多様性のある社会」「多様性を受容する社会」ということです。
そもそもアメリカが発祥の言葉で。人種や宗教、性別などの差を「差」として認めつつ、全体として調和をとれた世界をめざそうという理念から生まれたと考えられるそうです。
このダイバーシティという概念には、ワーク・ライフ・バランスが含まれていると、佐々木常夫氏は仰っています。
日本は「ちょっとした差」にすごく敏感で、同じ人間でつるむことによる弊害も多いとのこと。
たしかに、そうかもしれないと思いました。なんたって同じ人間だと、分かりあう作業がいりません。自分一人ではないことが確かめられます。そして自分たちにずっと有利なよう進めるでしょう。


ダイバーシティ、多様性を受容すること。そこから私は、多数者と少数者の対比を考えてしまいます。
いままでの方法で大丈夫なのだから、これからも続けていく。根拠としては、いままでの方法で、(この先も)大丈夫だから」です。サステナビリティとは、持続可能性のことです。
どうでしょうか。この先も大丈夫なのか、確認が必要なはずです。そのためには、ちゃんとした現状調査が必要です。
いったいどこが違うのか。「差」は「差」として認めつつ、同じ地球に、同じ街に、同じ会社に、同じ学校に、暮らしているのに、どうして知り合おうと思わないのでしょうか。自分一人ではないことだけを確かめている場合ではないようです。
いままでの方法がこの先も通用するという考えは、今までの方法・自分が多数者であるという思い込みです。いままで上手くいっていたことが奇跡に近いとどうして考えられないのでしょうか。これから先どうなるか分からないのに。


異質であることをネガティブにだけ捉えてないで、ポジティブに捉えなければ前には進めないでしょう。
なんたって実際に、目の前にいるのですから。ちょっとした差を見ないということは、その目の前の存在を無視することです。
諦めるのは簡単です。無視すればいいんですから。
無視することができたのは、自分たちが多数者だったからです。無視しても大したダメージにならなかった(と思われてきた)からです。
大したダメージにならなかったと思えるのは多数者の強みですが、弱みでもあります。次から次へと自分とは違うことが過ぎていきます。ひとつひとつ片付けていかないと、たくさんの宿題となって戻ってきます。


どうしたらいいか。この問いこそが生きる力です。

参考図書

弟が読んでいた、この本に書いてありました。

部下を定時に帰す仕事術 ~「最短距離」で「成果」を出すリーダーの知恵~

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