web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

アラン「幸福論」とみる、坐禅体験! 於 東京禅センター(世田谷区野沢龍雲寺脇)

アラン「幸福論」本文を引用しつつ、いまお手伝いをしている坐禅体験!について紹介してみたいと思います。仏教・禅というと堅苦しいイメージがついてまわると思うのですが、そんなことはないんですよ!!

坐禅体験! 於 東京禅センター(世田谷区野沢龍雲寺脇)

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一回2時間、500円の参加費を頂戴しております、坐禅体験!
会場は、田園都市線駒澤大学駅・三軒茶屋駅下車の、龍雲寺脇にある臨済妙心寺派東京禅センターです。
この坐禅体験!は、ほぼ毎回担当者が違うので(複数人のランダム)、参加されるごとに違う考え方・やり方に触れることが出来るという利点があります。
仏教のなかでも、宗派の違いがあるうえに、住職・副住職ひとりひとり特色があるわけです。住む人間によってお寺のカラーは変わります。臨済妙心寺派〜〜さん教、と言うとおおげさかもしれません。しかし、お気に入りを見つけてほしいとも思います。
そして、坐禅体験!を踏み台に、他寺の坐禅会に行っていただくもヨシ。他宗の行事に参加するもヨシ。どうぞご参加ください。

Original update by Brian Jeffery Beggerly

坐禅とは何か

  • だれでも、求める物は得られる。青年時代にはこの点を考え違いして、柵ぼた式に得られるのを待ち望むことしか知らない。ところが、ぼた餅は落ちてこない。われわれが欲するものはすべて、ちょうど山と同じで、われわれを待っており、逃げていきはしない。だが、よじ登らなければならない。
  • 社会は、なにも要求しない人には、なにひとつ与えはしない。ここで要求することは、たえず要求することの意味だ。

坐禅会や坐禅体験!に参加される方々は、思うところがあってのことでしょう。その理由は、近かったから・興味があってなど様々。
せっかくなら志を持って座禅をしていただきたい。そう思います。
仏教らしさを示す三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)があります。
諸行無常を変わる世界とし、諸法無我を変わる自分としたら、涅槃寂静は変わる世界と変わる自分に気付くことです。
お釈迦様には、様々な呼称がありますが、仏陀(ブッダ)はそのひとつ。仏陀(ブッダ)とは、真理に目覚めた人という意味。この覚醒が大切なことなのです。
「この一瞬を大切にすること・気付くこと」。坐禅は、気付きの実践なのです。

なぜ坐禅をするのか

  • 幸福というもののなかには、人が考えるよりも意志の力が働いている。

坐禅というと静かに坐っている姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、その身体内ではボーっとしていません。
坐禅は、無意識ではなく、意識が大切なのです。


坐禅とは何か?坐禅とは、気付きの実践であるといいました。
気付きにもいろいろあるでしょう。忘れ物に気付く。相手の気持ちに気付く。仕事で良いアイデアに気付く。自分の未来に気付く。地球の行き先に気付く。などなど。
些細なことから、大きなことまで、気付きがいかに大切か分かります。
夜、寝床に入って「今日は昨日よりも良い一日だったろうか」と反省していますか。一月一日、「また新しい年が始まる、良い年にしよう」と反省していますか。ふと立ち止まったとき、人は、気付かされます。
その実践。それが坐禅です。坐禅と一口に言っても、行住坐臥。寝ても起きても、ご飯を食べていても、トイレに行っても、仕事をしていても、座禅であると禅宗は言います。
静かに坐って、呼吸に集中するのは、分かりやすさと求めやすさからなのだろうとも思います。それだけではないでしょう。
坐禅の時間を、止静(しじょう)と言います。とどまり、静かにすること。今という時間・自分は、この刹那にとどまり、静かにしていることの連続にすぎないことに気付くためなのです。

さらっと流していただきます

  • すべては、やがて忘れられる。現在というものには、いつも力と若さがある。そして、人は確実な動きをもって現在に順応する。

いろいろお話してきましたが、坐禅の効用はこうなんです!と明示すること。はばかれる気持ちもあります。
坐禅体験!では、まず始めに諸説明をいたしますが、説明とは「坐禅・仏教・禅の存在、そのものの価値を理解するために本当に必要な提示・説明・過程か?」といわれると、そんなことはないのです。『まぁ坐ってみてください』の一言で済むことを、ゴチャゴチャとお話し申し上げる。ジレンマがあります、語らなければ分からないこともありますから。
坐禅体験の最大の目的は、500円の参加費も忘れ、坐禅体験!も忘れ、さらっとした気持ちでお帰りいただくことなのです。坐禅は難しすぎてクヨクヨ考えてしまうのでは困ります。大丈夫。頭も心も、からっぽになってもらいます。
重い気持ちも軽くなります。さらっと、ふわっと、きてください。

引用は

引用は、アラン『幸福論』です。

幸福論 (岩波文庫)

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幸福論 (集英社文庫)

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