web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

たくさん衝撃を受けたこと33 〜 トランスジェンダーの方々を迎えて

昨日今日と、同宗連(『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議)主催による、第60回「同宗連」研修会に参加しました。
超宗派の研修会には初参加。2日に分けて、講師の方3名(トランスジェンダーの方々)のお話を聞きました。

今までテレビや本で「こういう人たちがいるのだな」と見聞きしていたことはありました。金八先生のドラマの記憶がありますし(3年B組金八先生 - Wikipedia)、いま放映されているドラマも見ています(連続ドラマ「IS[アイエス]~男でも女でもない性~」:テレビ東京)。
率直なお話しを聞くことは今回が初めてでした。まして当事者の方のお話。
とても分かりやすいお話で、社会の中で受けた苦しみはどれだけ深かったのか、推し量れません。悩み、いろんな思いで自分を表現されているのだろうなと思いました。
私たちは、セクシュアル・マイノリティと、間違いなく出会っている。しかし差別が苦しいため言えない・言わない現状を知りました。
たった2日お話を聞いて、少しは分かったと言っても、私には関係ない・あちら側のこと・「こういう人たちがいるのだな」と思っている 自分 を打破できないのでした。研修を経ても、「同じ仏教教団関係者にいるだろうかと考えず、檀家の方から相談をされた時は・・」と考えるなど、当事者意識が持てない自分が憎らしいのでした。


世の中はうつろいゆくものです。言葉の定義は変わっていきます。関連する言葉として、「性的少数者」「同性愛」「両性愛」「半陰陽」「性的指向」「性自認」「性同一性障害」「性分化疾患」「セクシュアル・マイノリティ」「トランスジェンダーTG」「トランスセクシュアルTS」「インターセックスIS」「MtF・MtX・FtM・FtX」などがあります。
言葉を知ることも大事だけれど、一人ひとり違うことを考え、枠にはめず、「そういう人もいるよ」という一言で救われる人がいる。相対視しない。絶対視することが大切。目の前に生きている、それこそ「普通」に。


いままで意図して無視をしてきたと思いました。無かったこと、自分には関係ないこと。しかし、差別は差別として認めなければ、乗り越えることは出来ない。
「性別」には社会制度がついてまわり、枠から外されているままの人たちは、婚姻・医療・仕事など、とても苦労をし続けるはめになる。
たくさん衝撃を受けたこと、当たり前・社会常識にとらわれていた自分を発見したこと、があったので書いていきます。

たくさん衝撃を受けたこと33 〜 ふつうを疑い、自分に関係することだと自覚すること

  • 性同一性障害」と「同性愛」は違う
  • 「同性を愛するか、異性を愛するか」ではなく、「どのように愛するか」
  • 『私自身「TVの向こうの話」と思っていたが、身近どころではなく、自分がそうだと気付いた。大変苦しい思いをした。嫌でも向き合わざるところにいる人を、一人にしないでほしい』
  • 性同一性障害に対する間違ったイメージ=「みんな手術をしたい」「みんな子どもの頃から、悩み続けてきた」と思っている。どうしたらいいか分からない、手術したくないと思う人もいる。大人になってから、例えば子ども・孫が生まれてから、という人もいる』
  • 性的少数者」「同性愛」「両性愛」「半陰陽」「性的指向」「性自認」「性同一性障害」「性分化疾患」「セクシュアル・マイノリティ」「トランスジェンダーTG」「トランスセクシュアルTS」「インターセックスIS」「MtF・MtX・FtM・FtX」といった言葉を知って安心するひともいる。そういった言葉を言われて嫌なひともいる。
  • 『セクシュアル・マイノリティと言われるような人は、常にアンテナをはっている。言葉のはしばしで判断している。ボールを投げている。この人には言っていいだろうか』
  • 半陰陽の割合は、2000人に1人。単純計算で、日本でも毎年600人が誕生する。国内に6万人?
  • 同性愛は、病気ではない。正常な性のバリエーション。異常性欲ではない、変態性欲ではない。
  • 心と身体の性は合致して当然、ではない。男の人が何故男かと聞かれ「いや、だって男だし」と思うように、彼(女)らも同じように思っている。
  • マジョリティがマイノリティを意味づける。声をあげなければ存在することも認められない。
  • 差別は人を黙らせる。
  • 身体の性、性自認(心の性)、性的指向の組み合わせは、それぞれで。自分は自分であることに過ぎない。
  • 一般的にロールモデルが見当たらないため、閉塞感が尋常ではない。
  • 性別はアイデンティティに、生活に、直結している。人としての尊厳の問題で、認めないことなど出来ない。
  • 「〜らしく」ではなく、「自分らしく生きていきたい」と思っているだけ。
  • 「血液型判断」のように、そのことでその人の何かが分かるかの様に言われるのはなぜか。
  • まず差別意識ありきで、正当化できる証拠が光りだす。
  • 被差別者は、良い宗教であるための、理解し受け入れてあげるべき気の毒な人たちではない。
  • 『被差別の問題ではなく、差別の問題。差別を差別としてみることでしか、乗り越えられない。自分を受け入れられない自分がいて、自分に差別を向けてしか、たたかえない。』
  • 他の差別、女性差別、部落差別、と違って、「あなたのわがまま」「好きで苦しんでいる」という見られ方が強い。
  • 「同性愛」がどうの、「性同一性障害」がどうの、、、ではなく、もっと一人ひとりが違うことを考えねば。どんな人だっている。
  • 性同一性障害の人のこころのなかでも、「気付かなかった」「違和感があった」などさまざま。
  • 男性から女性のケースは言いやすい、カミングアウトしやすい、表に出やすい。女性から男性のケースは、言いにくい、徹底的に隠す。最初は、まわりから、やる気があるなァと思われるが、次第に自分たちの位置が脅かされるのではと恐れ、攻撃する。
  • 「埋没系」自分はセクシャルマイノリティーではない。
  • 性的少数者」「同性愛」「両性愛」「半陰陽」「性的指向」「性自認」「性同一性障害」「性分化疾患」「セクシュアル・マイノリティ」「トランスジェンダーTG」「トランスセクシュアルTS」「インターセックスIS」「MtF・MtX・FtM・FtX」は、全然暗いものではない。
  • 仏教は、「不邪淫戒など、性から離れている」といいながら、それは異性愛を前提としているじゃないか。すでに。
  • 「性転換手術」・・そんな簡単なプロセスではない。「性別適合手術」という言い方がある。
  • 誰かを好きになって自分の性指向を認識するのではない。性自認=自分の思っている自分、自分による自分の認め方。
  • 「誰を好きになるか」と「自分がどうなりたいか」は、まったく別。
  • 手術をしなくてもいい、戸籍を変えなくてもいい、という人は、社会と接するたびに一生聞かれ続ける。そして、この意識も変化することだってある。
  • 『自分の体がやわらかいのが嫌だった。自分は漠然と大人になったら、男の身体になっていくもんだと思っていた。第二次性徴はとてもショックだった』
  • 性はグラデーション。

講師の方々には、ご自身の経験をもお話しいただきました。それでも、伝えきれない部分がたくさんあったと思います。それは、目の前に見えている世界も、同様です。

最後に

たまたま少数なだけで、異常視される。本人の自由のはずなのに。
お話しを聞いて、本を読んで、今まで目を伏せて生きてきたことを実感しました。そして、それでもなお、色眼鏡は外すことができていない認識があります。この色眼鏡を外すためには。日々、くりかえしくりかえし、薄皮をむくように、学び、共有することに努力することでしょう。
つらつらと書いてきましたが、これは複雑な問題だ・・と思うでしょうか。否。普通だと思っていたことは普通じゃなかった、というだけです。とてもシンプルです。
『セクシュアル・マイノリティと言われるような人は、常にアンテナをはっている。言葉のはしばしで判断している。ボールを投げている。この人には言っていいだろうか』とは、当事者のお話です。同じように、私たちも、何事にも、アンテナをはって生きていかないと、現代という環境には適応できない。そう反省させられた研修会でした。


最後に。講師をされた方の著書が販売されており、わたしが買った本を紹介します。

変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から (岩波新書)

変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から (岩波新書)


性なる聖なる生―セクシュアリティと魂の交叉

性なる聖なる生―セクシュアリティと魂の交叉