web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

とある映画監督について

ある映画会社の方が、新入社員を連れて、お墓参りにいらっしゃいました。
映画監督の先祖が眠るお墓を案内してくれませんか。連れてきた社員がその監督のフアンで、と。
古石場文化センターの地図を持っていたから、いろいろ回ってきたのだろうなと。この暑いなか。

ご案内すると、目を閉じ手を合わせておがむお二人。尊敬する監督のご家族をお参りできることは不思議な感覚です、とおっしゃる。
鎌倉の円覚寺にはご本人のお墓があり、ちょっとお参りしにくい場所にありますが、お花や食べ物飲み物とお供えは多いですね。しかし、この深川のお寺には、あまり訪ねてくる方がいません。いいことだとも思いますが。

「映画とは、一人の人間の、ほんとうの個性を描くものだ。ほんとうの人間は、いくらそれを行動の上で、どぎつく描いても、描ききれるものではない。喜怒哀楽だけを、一生懸命写しとってみても、それで人間のほんとうの心、気持が表せたとは言えない。悲しい時に笑う人もいるし、嬉しさを現すために、泣かす場合もある。要はその人間の風格をだすことだ。」
「いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、ドラマの本質は人格をつくり上げることだと思う。」
「私は、画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど、穢(きたな)いものを、とり上げる必要のある事もあった。しかし、それと画面の清潔、不潔とは違うことである。現実を、その通りにとり上げて、それで穢いものが、穢らしく感じられることは、好ましくない。映画では、それが美しく、とり上げられなくてはならない。」
「社会性がないといけないと、言う人がいる。人間を描けば社会が出てくるのに、テーマにも社会性を要求するのは、性急すぎるんじゃないか。ぼくのテーマは、“ものの哀れ”という極めて日本的なもので、日本人を描いているからには、これでいいと思う。」
「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。」