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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

気づくこころが美しい

先日、7月の護寺会便り&花園を発送しました。その内容です。

気づくこころが美しい

7月です。一年の半分が過ぎました。
今日までの時間の流れを、「もう」一年と考えるか、「まだ」一年と考えるかは、人それぞれです。
あの地震からは、1、2、3ヶ月、100日と過ぎ、もうすぐ4ヶ月となります。この月日が、長いと感じるか、短いと感じるかも人それぞれ。


考えもつかない事件が起きます。
9.11、神戸・中越地震、池田小・酒鬼薔薇地下鉄サリン事件イラク戦争東日本大震災福島原発
映画や小説にあるような出来事です。世界中で起きています。
テレビ・教科書で、3.10東京大空襲、8.6・8.9広島長崎原爆投下、8.15終戦記念日など繰り返し、私たちの目には見えるけれども、どこか遠い世界の話に感じます。時間の経過でしょうか。
考えもつかない事件・戦争の起きない世界は無いのです。それでも、諦めてはいけません。
東日本大震災はどうなるでしょう。忘れられていくでしょうか。語り継がなければなりません。


地震の影響か、猛暑への対応か、世間では盛んに節電が叫ばれています。電力会社が節電を呼びかけるのはオカシナ話です。
冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ、カラーテレビ・クーラー・自動車。レンジ、薄型テレビ、食器洗い乾燥機など、新商品として、便利なものとして、続々と電化製品が世に出ています。
電気を自由に使えるようにと。便利に、新しい機能をと。我々の求めに応じて、電気・電化製品は作られてきた、とも思います。
しかし、歴代の政府と電力会社の責任は明確で、天災(?)だから免責、となるはずがない。責任も大切ですが、これからが大切です。ひとりひとりが日本を考え、行動しなければならないと、再度明らかになりました。明日では「もう」遅く、今なら「まだ」遅くはない。責任もつ生活。
極端な節電も問題でしょうか。節電だ!と、マンションの高層階に住む人が、エレベーターを使わずに暮らそうと思えば、階段の往復で一日が終わってしまいます。電車などの交通機関を使わなければ、何駅と離れた会社・学校に毎日通うことは出来ません。

テレビやラジオもエアコンも無い。はだか電球、晴耕雨読の生活。働く場所は、住む家のすぐ近く。お風呂を沸かすにも、ご飯を炊くにも、今ではスイッチひとつですが、昔はすべて薪。消し炭を取り、七輪で野菜を煮炊きする。そんな昔の生活は、今よりも良かったでしょうか?


5月の陽岳寺のお施餓鬼会で、修行道場での生活について話しました。
僧堂とは、生活のなかで我を無くすことに集中する場所です。我を無くせ、いままで持っていた知識も全部捨て去ってしまえと言います。放てば手に満てり、と曹洞宗の道元禅師の言葉ですが、いろいろなことに気付かされます。

「花も美しい 月も美しい それに気づく心が美しい」

円覚寺前管長の足立大進老師の言葉です。気付くことの大切さを教えてくれます。
私たちの周りには、美しいもの・ありがたいことに満ちています。しかし、気付かなければ。


修行道場で気付くこと。いちばんは「親切」です。感謝の念が起こります。

修行道場は、八百屋さんのように野菜を売って生計をたてたり、会社を経営して、お金を稼ぐことはできません。では、どうするか。・・・お布施です。町を托鉢をして、まわるのです。
托鉢の方法は、修行道場の場所によって違います。円覚寺の場合は、軒先に立って、一軒一軒短いお経をお読みします。鎌倉に住む方々はご存知なので、皆さん托鉢が来たな・・と家から出てきて、おのおの負担のない額をくださいます。
托鉢に出ますと、お金をいただくことが多いのですが、果物やお米もいただきます。それが後々、自分たちの口に入るわけです。生きる糧です。無ければ、無いだけ。食べられないだけです。果物やお米は重いです。また、小銭もたまってきますと重い!ひもが肩にくいこみます。
しかし、重いのは物だけではありません。気持ちも、です。
親子で出ていらっしゃって、お母さんが子どもに小銭を手渡し、あげてきなさい、と下さいます。その姿に、思わず微笑んでしまいます。お札を頂戴することは稀で、硬貨の方が紙よりも重いですけれども。その気持ちは、重いのです。その重さは、親切です。ありがたいなと思います。


3/11の地震で鎌倉市は停電したそうです。ただ僧堂はいつも暗いですので、ろうそくがあります。いつも不自由なので、かえって何不自由なく暮らせていたようです。
水は横井戸からきていますし、ご飯を作るにも、お風呂を沸かすにも、ガスではなく薪ですから、停電・断水・断ガスは問題ありません。ただ、そういう生活なだけ、というわけです。
それでも、「ただ、そういう生活」を送ることができることは有り難いことなのだと。日々の生活への感謝に、気付くことができた。そんな地震だったと修行道場の雲水は話していました。
いま私たちは、便利なものに囲まれて生活できています。感謝しているかと問われたら?


「大いなる ものにいだかれ あることを けさふく風の すずしさに知る」
妙心寺管長でした山田無文老師の句です。無文老師が結核の療養中、縁側で風に当たっていたときです。風は空気が動いていると気付き、鉄の棒でガツンと殴られた気持ちになりました。
「私はこの空気に育まれ、養われていたのに、今まで空気のあることに気付かなかった。空気が寝ても覚めても休みなく抱き締めてくれていたのだ。泣けて泣けて仕方がない、俺は孤独ではないぞ。生きよ生きよとおれを育ててくれる大きな力がある。俺は治るぞ」と思ったそうです。

私たちは、さまざまなことやものに支えられて生きています。
エレベーターが動くのは、電車で通勤通学出来るのは、お施餓鬼に出席できるのは、お盆を迎えられるのは、今わたしが生きているのは。
護寺会便りを送ることができるのも、数え切れないご縁・無限のいのちのつながりの賜物です。
今このときに繋がっている、わたしたちの命がとても偶然とは思えないことだと。ありがたいなァと、感謝して暮らしていければ。気付くことは、幸せなことなのではないかと思います。
修業道場での生活に区切りをつけて、深川に帰ってまいりました。祖先と皆様とのつながりを、現住職から後へと、つないでいきます。
お盆は、祖先とわたしとのつながりを思う、ひとつの機会です。先に逝った親しい人たちを偲ぶこと、毎日を送ることができると感謝することが、孝行・供養なのだと思います。 (副住職)

★お盆は7月13日(水)〜16日(土)です。◎深川仏教会では、7月25日(月)午後7時より、深川高橋河畔(清澄通りと交差する小名木川)にて灯籠流しを行っております。一霊千円以上にて、仏教会灯籠に戒名あるいは先祖の名前を記して川に流します。陽岳寺で、受け付けております。