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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

がんばる話し

座禅会のお手伝いをすることがある。
そういったとき、引き合いに出すのが、彼の話し。


むかしの中国の禅僧の話し。
彼は、片足が曲がらなかった。
片足が曲がらないけれども、とても良く座禅をした。
頑張って頑張って、お悟りを得た。
そして時は流れ、死ぬ間際になり。
最後の最後に、足を組んで座禅がしたい!と、足をバキッと折り、ぐっと結跏趺坐した。


という話し。
この話しを聞いて、「よし!いっちょ俺もコンチクショー!と坐ってやるぜ!」と奮起するか。
「はいはい、そこまでやりませんよ。足まがるし」と聞いて聞かぬフリをするか。


座禅会では「まぁ、皆さんにそこまでは求めませんが」と、笑い話にするんですけれど。


修業道場では、「みんな苦しいし、痛いんだから、お前も頑張れ」「昔の人はこんな楽ではなかった」「俺も過去がんばったんだ」「失敗したら連帯責任」と説き伏せ、素直なこころを伸ばす(?)わけですが・・・。
一見、上の言葉というのは『「だから、頑張れ」という要求』に見えますが、ほんとうは『心構え』を示しています。


いまの若者(?)なら、「みんなが苦しくて、痛いようなことは、オカシイ事だから、やるべきじゃない」「昔と今は違う」「俺はお前じゃない」「俺じゃなくてヤツが悪い」と言うのでしょう。
たしかに、出来ないときは出来ないです。それは仕方ない。でもでも、やれる範囲でやってですよ・・・それでも、いつかは!という「希望」は持っていたい。
禅僧の彼は「いつかは足をシッカリと組んで座禅したいんだ」という希望を持ちながらも、曲がらない足ながらも頑張るわけです。頑張りきるわけです。ちゃんと。そして、希望をかなえる。かなえられて幸せだったでしょう。
座禅をすること、一生懸命に物事に打ち込むことの「心構え」と、「希望」を持つことは生きることなんだなと僧堂から出て、ふと思ったのでした。

きいてください、看護婦さん : 漂流生活的看護記録を読んで。