読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

キーボードでは得られない「手と心」の一体感


僧堂にいたときは、毎日畑仕事だ、薪割りだ、托鉢だ、と必然に運動していたのだけれど、深川の陽岳寺に来てからというもの、「運動」というものとはサッパリ。
というわけで、毎日、散歩をする。散歩といっても、字のとおり歩くこともあれば、自転車に乗ることもある。自転車に乗ることの方が多いのだけれど。
自転車よりも歩いている方が気楽だったりする。どこの都市もそうだろうが、脇道が多いし、一方通行で、あの地震のせいからだろうか自転車に乗る人が多いような感覚。
自転車は、わりと危ない。自転車でヒュイヒュイと進んでいきたいところだが、やれ後方確認、やれアソコに見えるマンションの入り口から出てこんか、やれ脇道から人が飛びでんか、やれ向こうからくる人とすれ違えるんか、と色々気にしなくてはならない。轢いてしまう。
なにも気にしないで運転することだって出来るのだろうが、ヒヤリ&ハッとさせられることが多々だから、こちらが十分に気をつけなければ、と思わせられる。自転車も車であり、急には止まれない。自動車や自動二輪などを運転するように、急に止まれるよう意識してなきゃならない。
・・となると、自然に、景色を楽しむ余裕もなく、信号や障害にとらわれて、ただひたすらに目的地へと突き進むのみ(まぁその突き進むこと自体を楽しむこともあるけれど)。
ただひたすらにゴールを目指すのみ、か。


今朝の朝日新聞の天声人語にあったけれど、多くの人が天声人語や、声欄に掲載される投書を筆写しているのだという。なるほど、筆写につれて、日記の文章が無駄なく上手になるらしい。
手書き文化とキーボードでポチポチやることの違いは、徒歩と自転車との違いに似ている。
文字を書く時間と、キーボードでポチポチやる時間は、大差ないのかもしれないけれど、前者のことを、天声人語では『ゆたかな静謐』『キーボードでは得られない「手と心」の一体感』と載せている。

「あなたの人生は、移動ですか?旅ですか?
 移動の人にはマイナスの回り道も、旅の人にはたのしみになる」
                     中谷彰宏

たとえ目的地が同じであっても、まっすぐにしか進めない自転車と、ふらふらとぼとぼ歩くのでは、大きな違いだ。
自転車は、目的地に着いてからの時間に「ゆとり」がありそうだが、散歩にとっては「ゆとり」自体を楽しむのが目的なのだ。旅なのだ。