web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

お施餓鬼では僧堂生活について話します

先日、平成23年度のお施餓鬼についてお知らせをお送りしました。と同封で、陽岳寺護寺会便りNo.124も(住職作です)。


さて、ご祈祷の会では、落語などお楽しみがあるわけですが、お施餓鬼ではお話しをさせてもらっています。
昨年度は住職が、それまでは亀有にある祥雲寺住職・桃林室 中島省恒老師をお迎えしていました。さらにその前は落語をお頼みしていて、もひとつ前には白山の龍雲院住職でした南華室 小池心叟老師をお迎えしていました。他にも、お話しいただいた方がいらしたかもしれません??
今年は、副住職の私がお話しさせていただきます。
陽岳寺は檀信徒の方々へ、妙心寺「花園会」の月刊誌『花園』をお送りしています。この記事では、一足先に、平成23年5月号花園と一緒に送ろうと思っている護寺会便りを掲載します。

陽岳寺護寺会便り 平成23年お施餓鬼号 No.125

施餓鬼では僧堂生活について話します
昨年の夏、深川に帰ってきて、秋のお彼岸、ご祈祷の会、年末年始、春のお彼岸と過ぎました。
5/28(土)は、私にとって初めてのお施餓鬼です。
山門大施餓鬼会は、近隣の和尚様方を呼び、陽岳寺にとって長い過去をさかのぼっての有縁無縁の亡くなられた方々を、みんなで感謝し祈りを捧げようとする集まりです。
また陽岳寺檀信徒の縁につながるご先祖様も供養しようと催される法要です。今回は、東日本大震災津波等で亡くなられた方々、被災された方々、何らかの形で被災地に添ってかかわっている方々に対しても、ご冥福や、ご無事、ご多幸の回向をしたいと思います
昨年、ご祈祷の会にて、挨拶させてもらいましたが、本年のお施餓鬼では、陽岳寺副住職、新命(しんめい)和尚である私がお話させていただきます。修行道場での生活についてです。
皆さんのご参加をお待ちしています。

かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心−我他彼此・達磨安心

さて、何回か護寺会便りをお送りしてきましたが、まだ書いていないことがあります。それは私の僧堂での生活について、です。
私がいた僧堂は、JR北鎌倉駅から歩いてすぐ、瑞鹿山円覚寺の中にあります。そして、おとなりには、巨福山建長寺があります。昔は喧嘩が絶えず、犬猿の仲になぞらえて、建円の仲と言われたようですが、いまでは行事があるとお互いに助け合っています。


奈良の薬師寺管長であった高田好胤師が、般若心経について、こうお話しされています。
「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、広く、広く、もっと広く、これが般若心経、空の心なり」
とても少ない文字数で、仏の教えを余すところなく知ることができるお経として、般若心経があります。かたよらない、こだわらない、とらわれない心。
仏教では、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を教えの特徴としています。そして、無常・無我の世界に、常住や自我を追い求めるために、苦しむ。過剰な執着を良しとしません。
しかし、その執着も縁なのだと思います。「こだわり」という縁です。
『断捨離』について護寺会便りを書いたことがありました。片付けられない部屋、遺品、心からのこだわりを「捨てる」「無くす」「消す」ことは『断捨離』のウワバミでしかなく、本当の『断捨離』とは、「断捨離しなければ」ならないと思う心を、自分を認めることです。
いつのまにか、「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心」を持たねばと、自分で自分の首をしめるかのごとく、とらわれていた自分に気付くことが大切なのでしょう。

『我他彼此』

『我他彼此』・・・がたひし、と読みます。
「我」があって「他」があり、「彼」があって「此」がある。自分と他人、あれとこれ、と物事を対立してとらえることを言います。物事が対立して決着がつかない状態のこと。「我他彼此の見」とも。
戸の立て付けが悪い状態をガタピシ言う、ですとか。ガタガタ言うな、ガタがきたなァ、という言い回しも、この『我他彼此』から来ているそうです。

我を無くしましょう、執着から離れて柔軟に生きることが大事なのだと、お釈迦様は仰っているわけですが、建円の仲と言われた姿を見たら、どのように思ったでしょうか。いまでは一緒にソフトボールをする仲にまでなりました(それが良いことかまでは分かりませんが?)。
本来は一つだけれども、我見によって、対立的に見えているだけ。平安が失われているように見えているだけ。私たちはとにかく、白か黒か、好きか嫌いかと、物事を決めたがります。自分に出来たのだから、彼にも出来るはずだ。昔は出来たのだから、今も出来るはずだ、と。
きっと、安心したいのでしょう。

『達磨安心』

禅宗の書物「無門関」に『達磨安心(だるまあんじん)』という項があります。
初祖達磨(だるま)大師の弟子にしてもらおうと、後の二祖慧可(えか)大師が、坐禅をしている達磨さんを訪ねました。ウンともスンとも言わない達磨さんに、自分の意志を伝えんが為、雪の中、自分の左腕のひじから下を切り落としました。そして、問答をします。
慧可「私の心はまだ不安です。どうか安心させて下さい(子は心未だ安からず。乞う、師安心せしめよ)」
達磨「では、その心というものを持ってこい。そうしたら、お前さんのために安心させてやろう(心を将ち来れ、汝が為に安んぜん)」
慧可「心をさがしましたが、見つかりませんでした(心を覓むるに了に不可得なり)」
達磨「お前さんのために安心させたわ(汝が為に安心しおわんぬ)」

地震は大地が大きく揺れます。でもそのあとに揺れるのは自分の心です。心が揺れるのは、自分自身の意識が、対立的にモノや意味をとらえ、考えるからです。では、その心はどこに?

本当の安心は我を無くしてこそ

何とか暮らしていた、体も病気を抱えていたが、それでも家族に囲まれて満たされていた、いい生活だったとは、意味です。何かを失ったと思えるのは意味です。意識・心が作り上げたものです。地震前までは普通に生活できたのだから、これからも普通の生活が出来るはずだ、と。

津波がすべてを流しつくした意味は?いまなお地震が続く意味は?歩いて帰らねばならなくなった意味は?戻る家を失い、家族を失い、もはや自分を知るものは自分一人だけ、となった意味は?想定外の事態の意味は?家は傾き、ひび割れ、水もガスも電気も通じない。とてもじゃないが住める状況ではない、この家の意味は?道路はゆがみ、マンホールが飛び出て、満足に歩けない、この町の意味は?そんな被災地とほど遠い場所に私が住んでいる意味は?

無縁社会、孤独死、となりに住む人の顔も知らない今なんかよりも、昔の方が安心でしたでしょうか?原子力発電所のない時代は安心でしたでしょうか?
テレビやラジオもエアコンも無い。はだか電球、晴耕雨読の生活。お風呂を沸かすにも、ご飯を炊くにも、今ではスイッチひとつですが、昔はすべて薪。消し炭を取り、七輪で野菜を煮炊きします。
そんな昔の生活が僧堂では続きます。僧堂とは、生活のなかで我を無くすことに集中する場所です。お施餓鬼では、もっと詳しく僧堂での生活についてお話しします。(副住職)