web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

桜とブッダの関係

今週のお題「桜」ということで・・・

仙台堀川に沿って、桜が植えてある。写真は、うみべはし、から。


桜・・というと、この記事(それは舞い散る桜のように - たぜあた -web版陽岳寺護寺会便り-)。そもそも4/8に投稿しようと思っていたのですが(なにせ、お釈迦様の誕生日のはなしだから)、勢いで公開・・・少々後悔、したという訳。


桜というと、桜咲く。桜散る。と、人生の転機を彩る花といった印象があります。
芽を出し、根深く、幹太く伸び、葉をつけ、花を咲かせる、散らす、実をつける、くち枯れる、土に戻る・・と、どこを終わりとするかで、始まりも変わると思います。この移り変わりゆく植物の姿・花の姿を、人の人生と重ねてしまいませんか。私たちは、動物も植物も、同じ命が宿っていると、目で聞き、耳で見ているんじゃないでしょうか。知っているんじゃないでしょうか。人はいつまでも、実りある途中に生きていると思いませんか。
「初期仏教では、植物には命がない」ということになっていたらしい?諸説あるようですが、お布施をくださる皆さんが「いやいや、草木にも命がある」と考えていたため、迎合したらしい?と言われます。そして、現代では「ありがとう」と草木に話しかければ、よく育つと言われたり。
宗教は時代に即して変化していきます。そして、変わらない部分もあります。人の命も、桜のように、咲き、散ります。風が吹いて、雨が吹いて、もしくは切り倒されたり、津波で根っこごと持って行かれたり。雨風は恵みでもあり、また何にでもなります。きっといつか何かが起こる・・と、それは分かっていることでもあり、突然でもあります。想定内も想定外もあるわけです。お店や自販機の水を売り切れるまで買ってしまったり、ガソリンスタンドに列をなしているから私も並んでみるかと。こんな私も想定内、想定外。
この世界というものが、一瞬一瞬、生まれ、死にを繰り返していると知れば、花が咲き、散ることに、一喜一憂していることがバカバカしく感じるでしょうか。
それでも人は、他人から強いられる自粛なんか余計なお世話にすぎない!お花見したい!と思うでしょう。そうでなきゃ生きてられません。一喜一憂できるのは、頑張れるから。普通に暮らしていても、一喜一憂してられない人もいるでしょう。それでいいでしょう。
どうしてもこういう時間が必要なときもあり、それを何故かと聞かれたら、話すと長くもなるでしょう。
人生の転機を彩る花。じっと見つめてみませんか。きっと草木が鏡となって、みな仏であると、気付きます。目覚めた人、ブッダは私だったと。


お釈迦様ついでに、もうひとつ(ついで、とか言って・・・)。

三部作らしい?手塚治虫版ブッダ、アニメ映画化!この写真は、銀座にある「丸の内TOEI1・2」
2011/5/28全国ロードショー。
映画「手塚治虫のブッダ-赤い砂漠よ!美しく-」オフィシャルサイト
ブッダ:マンガwiki:TezukaOsamu.net(JP) 手塚治虫 公式サイト
shimada
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