web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

それは舞い散る桜のように


そうだ 京都、行こう。


たまたま目についた、この広告に惹かれたのはなぜだったのか。

どういうわけだろう。
今年は一本の桜と
じっと向き合う春にしたかった。

ポスターには、京都(なのは当たり前だが)・東寺の五重塔と、しだれ桜が大きくうつっています。


目の前になにか自分より大きな存在があるのだと、私たちは圧倒される。目に見える大きさに、肌に、感じるのだと思います。しかし、ろばたの花だろうと、しだれ桜だろうと、命の大きさに変わりはありません。自然という命あるものへの畏敬と感謝が、自ずと溢れるために、じっと向き合いたい・・と思うのでしょう。

詩人・坂村真民氏に次のような詩があります。

じっと見つめてください
この一輪の花の
いのちの尊さを
じっと考えてください
この一輪の花の
意義の深さを

仏教では年に3日、大切にしている日があります。
それは、お釈迦様がお生まれになった日、お亡くなりになった日、お悟りをえた日、です。
さて、4月8日がお釈迦様のお生まれになった日であるわけですが、みなさん知っていましたか?12月25日がイエス・キリスト降誕の日というのは、クリスマスが年中行事になっていますから、ご存じだとは思うのですが・・・。
お釈迦様はお生まれになったとき、右手で天を指し、左手で地を指し「天上天下、唯我独尊」と仰ったそうです(と言われています)。

この言葉「天上天下唯我独尊」の意味は、「この世で、ただ私だけが尊い」のではなく、「みんなが尊い命を、仏の心を、持って生まれてきた」ということです。
しかも、その尊い命とは、動物・植物と、関わらずあるのだと。


桜というと、桜咲く。桜散る。と、人生の転機を彩る花といった印象があります。
花を咲かせる、散らす、実をつける、くち枯れる・・と、どこを終わりとするかで、始まりも変わるでしょう。この移り変わりゆく花の姿を、人の人生と捉えてみれば、人はいつまでも、実りある途中に生きていると思いませんか。


一輪の花の、精一杯咲いている命の尊さを、私たちは学びたいと思います。
円覚寺管長・横田南嶺老大師、日曜説教の内容を参考に、CMとかけて、書いてみました)

さいごにテレビCMでの台詞を紹介します。

今年のわたしのお花見は、一本の桜を選び、じっと向き合うことでした。
どうしてもこういう時間が私には必要でした。
なぜか?いやぁそれを話すと長くなるなぁ。