おのれこそおのれのよるべ
毎日新聞2011/03/23統12版の9オピニオン欄、異論反論に岡田斗司夫氏が寄稿していた。
大震災を前に私たちはどうしたらいいの?-テレビ消し 仕事に戻ろう
岡田氏は、この地球という世界は「現場」の支えでできている。地震や津波は防ぎようがないし、原発事故やインフラ破壊は担当者に任せるしか、われわれにできることは無いという。
しかし、上記に書いた一次・二次災害から起こる、われわれ自身の手で起こすことも防ぐこともできる三次・四次災害があるという。それは、天才でもなく、権力者やメディアの怠慢でもない、人びとの不安からなる災害のことだ。
人々の「小さな不安・心配」はテレビを被災地の様子をずーっと見続け、スーパーやコンビニで買い急ぐ人々を見続け、つのる。我々自身が災害の原因になってはいけないと注意を喚起している。また、「小さな安心」が社会不安を減らし、それに伴って三次・四次災害が減るのだとも。
そして、最後に「現場」へと戻る。「現場」とは、テレビにみる自衛隊員・警察・消防・ボランティア他の皆さんが働く場所でもあり、私たちの生活でもあるのだ、と。テレビを消し、自分の「現場」である仕事に戻るんだと。
おのれこそおのれのよるべ
岡田氏の寄稿を読んで、次の句を思い出しました。
法句経 第12品自己について・160に、こうある。
おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措きて
誰のよるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ獲ん
私自身にしか私を救えないんだ、この私を置いて誰が私を救えるだろうか、よく制した私しか本当に私を救ってはくれない。
私のことは私が一番よく知っている!と思っていても、テレビを被災地の様子をずーっと見続け、スーパーやコンビニで買い急ぐ人々を見続ければ、人知れず「小さな不安・心配」はつのっていくのでしょう。いくら自分で自分が正常だと思っていても、それは本当か??はたから見ても分からない。自分でも分からない。心のなか、なんて。
その心は、よりどころがなく、かといって決して無いとはいえないものです。あるようでない、ないようであるのが、心なのだと思います。
いつもの私を取り戻すには、いつもの私になるのが一番でしょう。心配ではあっても、いまは「小さな安心」を積み重ねることが大切なのだと思います。
- 作者: 友松圓諦
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