web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

「打ち勝つのではなくて、仲良くする」

「打ち勝つのではなくて、仲良くする」
相対するものを自分の敵だと見なすのではなく、仲良くする相手と受け入れること。それって、とても仏教らしいんじゃないか。今朝、新聞を読んでいて、そう思わされた記事が2つあった。
ひとつは、オトコの料理教室。もうひとつは、慢性痛との付き合い方について。

火と仲良くなる

2011/02/11朝日新聞の13面生活欄(亀渕昭信氏が料理研究家土井善晴氏に料理を習う)小林未来氏による記事です。

火と仲良くなる
料理は火との闘いじゃありません。火と仲良く。〜〜。土井さんの元に通うこと7ヵ月。亀渕さんは「台所に立つこと、包丁を持つことが怖くなくなった。これが最大の収穫」。

「料理とは、火との闘いではない」。台所や料理にたいしての意識、苦手・俺にも出来るかな?と自分で作り上げていた壁が無くなっている様子が見えます。敵は外にはいないんだ・・と気付いたのだと思います。

妻に自慢は禁物
「覚えたことを奥さんに自慢してはいけません。〜〜。奥さんお得意の料理も作ってはいけませんし、奥さんも、旦那さんの料理をほめてあげて下さい」

奥さんを敵として認めることはしないってことでしょうか。


また、家庭料理と趣味の料理との違いについて釘を刺している場面。

「家庭料理と趣味の料理と違います。〜〜。また、どんなにがんばっても長い間作ってきた奥さんにはかなわない。無理はせず、『またアレ作ってよ』と言われるような『アレ』をいくつか覚えましょう」

ようし料理するぞ!といって、台所でまな板・包丁・お野菜を前に格闘!・・・いやいや、家庭内では敵も味方もありません。じいちゃんも、ばあちゃんも、奥さんも、こどもも。やるからには、それぞれ独立して、自分の仕事としての責任や誇り(えらく言い過ぎでしょうか?)をもって、相手の範囲に立ち入りすぎないことが大事。

慢性痛 上手に付き合う

2011/02/11毎日新聞の13面くらしナビ欄(慢性痛 上手に付き合う)永山悦子氏による記事です。

「実は、痛みを完全に治すことは難しい。だが、日常の生活に困らないようにすることはできる。痛みや背景を正しく理解することが、改善の第一歩になる」

自分の痛みや生活で困っていることを医師とじっくり話し、運動機能と生活能力を改善するストレッチ運動を始めたところ、痛みが和らいだ。「今も痛むことはあるが、喫茶店にも出かけられるようになった、痛みと上手に付き合うことが大切と分かった」

牛田教授は「梅干しを見ただけで酸っぱさを思い出し、唾が出るように、明確な炎症や障害がなくても痛みを感じることがあるようだ」という。

痛みに負けたーとかじゃなく、内なるものとして、取り込む。痛みを完全に無くすことはできず、それならばと見つめ直し、近づくことが大事。

最後に-敵は、外から、やってこない

「料理の象徴である火や奥さん」そして「痛み」から目をそらし、敵だと思うことでしか、外の世界と付き合うことができない。極端に言ってみれば、敵だーと突き放す=敵とは自分のことではないと甘える考え方なのでしょう。敵という存在に依存している、といってもよいのかもしれません。敵が敵であるために、自分の存在がある。
その「自分」とは、本当の「自分」なのでしょうか。


自性すなわち無性にて、すでに戯論(けろん)を離れたり。


そもそも敵など、いやしないのだと思います。敵は、外から、やってこない。
料理は自分の分野ではないのだから、と自己卑下しない。逃げない。甘えない。無理しない。
「打ち勝つのではなくて、仲良くする」
一方的な依存ではなく、お互いがお互いの幸せに責任をもって、個人個人の仕事をやりきること。相手は敵なのだと面倒を見ることにエネルギーをそそぐよりも、自分の面倒をみることにのみエネルギーをそそぐことが大事。個人個人がよく働けば、きっと世の中うまくいくのだと思います。