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web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

『断捨離』のすすめ?-〜っぱなしにしない生き方

 2011年のお正月は、2010年の8月に鎌倉・円覚寺から、東京は深川の陽岳寺に帰山して最初のお正月。年末、年始と多くの方が墓参にいらっしゃいました。その際、私は副住職として、これから宜しくお願いしますと申し上げました。皆さんから、あんなに小さかった子が大きくなって・・・、今年も宜しくお願いします、護寺会便りを読みましたよ!また、新命さんって呼ぶんですね!との言葉をいただきました。皆さん読んでくれているんだなと嬉しく思い。また、住職がこれまで連綿と続けてきたことの意味を考えさせられるのでした。
 皆様からの年賀状を一枚一枚見ておりますと、住職、母宛とともに、副住職宛ともなっている年賀状を見つけました。昨年、護寺会便りをお送りしてよかった、副住職として私のことを認めてくれているのだなと、嬉しく思いました。ありがとうございます。

『断捨離』とは?

 縁あって、鎌倉の円覚寺専門道場にて、3年と少しという時を過ごしました。年賀状を出すことは叶いません。3年もの間、誰とも連絡を取らずにいたので、元日わたしに届いた年賀状の枚数はたったの1枚。さすがに寂しかったです。これは、つながりがバッサリ断ちきれていた結果なのだろうなと。こうして縁は薄れていくのかと、しかし復活する縁もあるだろう。切っても切れない縁もあるだろうと、思ったのでした。
 2010年の新語・流行語に『断捨離(だんしゃり)』という言葉が選ばれました。
 最初にこの言葉を知ったとき、仏教用語かと思ったのですが、どうやら違うようでした。『断捨離』とは、ヨガの「断業」「捨業」「離業」という考え方を応用したもので、自分にとって不要なモノを「断」ち、「捨」て、モノへの執着から「離」れる。単なる整理術ではなく、身辺を整理することで、そこから更に心も整理すること。10年ほど前、金沢市に住む主婦が提唱したものだそうです。
 この『断捨離』という考え方は、インターネットで普及しはじめ、今ではテレビ番組や雑誌で特集をされるほど。私の見たNHKクローズアップ現代(2010/12/16放送)では、「片付かない部屋の断捨離」と「親の遺品の断捨離」について放送していました。
 「片付かない部屋」にたまった物を整理していく夫婦、「親の遺品」を数カ月かけ片付ける娘にカメラを向けていました。
 子供服にしても、本にしても、遺品にしても、そのものに対する思い入れ・親子や家族の物語・自己投影の結果があるのでしょう。
 そっとしておきたい自分がいて、片付けられなくて、そのままにして置いてある。いつかはやろうと思っていても、それが出来ない。
 『断捨離』は、物を捨てるだけではない。その心が正されていないのだから、片付けられず、物が集まっていくばかり。物を整理することで、心の整理もしてしまおう。執着を取り払っていこうと考える。過去の後悔・未来の不安にとらわれ、家の中には物があふれる。今の自分には必要ないものたちばかりなのに、片付けられないと嘆く。
 そして、片付けたいことは物だけではなく、人間関係にも及ぶのだとか。

人間関係の『断捨離』とは?-ご縁を大切にする

 人間関係の『断捨離』とは、どのようなことでしょうか。縁を切ること?執着を持ってはいけない、自分にとって必要ないものならば縁を切ってもいい、という自己本位な考え方ではない!と思います。
 仏教では、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を教えの特徴としています。そして、無常・無我の世界に、常住や自我を追い求めるために、苦しむ。過剰な執着を良しとしません。
 しかし、その執着も縁なのだと思います。「こだわり」という縁です。
 片付けられない部屋も、遺品も、心からのこだわりを「捨てる」「無くす」「消す」のではなく、「大切にする」「意識する」「思い出す」「思いなおす」ことで認めてあげる。『断捨離』は縁の仕分けではなく、物と向き合うことによる自分との会話なのでしょう。
 遺品との会話は、先に逝った懐かしい人たちとの会話、そして自分との会話。それは、遺品ではなく、思い出でもいいはずです。「こだわり」も受け入れる。とらわれてもよいではないか!
 生まれれば縁が広がり、亡くなれば、また縁が広がる。そう考えると、人はなかなか死ねないのだとも思います。
 昔はあったかもしれない繋がり。バッサリ断ちきれていたとしても、それは無くなったのではなく、薄れているだけなのだと考えます。別の道からの縁もあるでしょうし、以前よりも太くなる縁もあるはずです。

縁あって自分が今ここにいる。縁あって自分がここからいなくなる。

 お骨の有無にかかわらず、お墓参りにいらっしゃる方々を見て、先に逝った親しい人たちの命は、今ここに生きているのだなと。千の風はそこかしこに、みな平等に吹いているのだなと思ったのでした。
 49日忌法要の回向には、こうあります。「人と人とのあいだ、縁とは、根拠、相即といえるものでもあり、拠り所といえばわかりやすいでしょう。だから、貴方から私へのあいだは途絶えてしまいましたが、私の貴方へのあいだは、途絶えていないのです」と。
 人は生まれながらにして、貴賎の上下などありません。しかし自分がたくさんの人に守られ、支えられていながら、そのご縁に感謝をしない。自分の満足したいが為にご縁を破っていくのはおかしい。縁を大切にしない人は、ずっと縁を気付かずに暮らしていくのでしょうか。それでも自分で命を「断」つことはできても、つながりは自分では「絶」つことができない。そう信じています。陽岳寺ができることとは何なのだろうと思います。
 学問のすすめでは、学問(さらに言えば実になる学問)の実人生にたいする影響力を述べています。『断捨離』のすすめとは、自分にとって不要な物だと断ちっぱなし、捨てっぱなし、離れっぱなし、〜っぱなしにするのではなく、ひとつひとつの縁を大切にすること、受け入れることなのだと思います。

『断捨離』関連本

新・片づけ術「断捨離」

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モノを捨てればうまくいく 断捨離のすすめ (DO BOOKS)

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ようこそ断捨離へ モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術

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