web版 陽岳寺護寺会便り

下町深川の禅寺 陽岳寺からのお知らせのブログです

8/6(土)陽岳寺ナツマツリについて

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【お知らせ】陽岳寺ナツマツリ

 8月6日(土曜日)陽岳寺の本堂にて、陽岳寺ナツマツリを行います。
 開催時間は11時~17時半。陽岳寺本堂にて、入場無料となっております。
「お寺でボードゲームを遊ぼう」スペース、ナツマツリ企画3本、お抹茶とかき氷の配布、そしておみやげコーナーによる販売も。
涼しい本堂で、遊んで、つくって、楽しんでいってください。
お子様・家族連れ大歓迎です!

■「お寺でボードゲームを遊ぼう」スペース

お寺とは、仏心開発場と言っていいでしょう。わたしたち皆に備わっている“仏さまの心”を開く場所。
ひとが何かを遊ぶとき、その心は開かれているはずです。楽しもう、相手を理解しよう、仲良くしよう、ただし簡単なルールは守って。
“手軽に遊べるもの”から“深く考えることが楽しくなるもの”までありますから、ゲームといってバカにすることはできません。
ハンデをつければ、子どもも大人も関係ありません。勝っても負けても、相手をバカにしたり、自分を卑下したりしない。挨拶はするし、相手のことを考える、頭を使う。ルールを教えあい、ともに時を過ごす。ただ遊ぶだけではない、お互いを一人前・仏さまとして認め合う時間です。無料、常設。

■ナツマツリ企画(1):朱印帳づくりワークショップ(2500円・先着10名)

岐阜の製本屋「有文堂」さんのご協力をいただき、陽岳寺ご本尊の前であなただけのオリジナル朱印帳をつくります。
“御朱印(ごしゅいん)”とは、お寺や仏さまをお参りした証。御朱印を書き入れる、あなただけの朱印帳をつくるワークショップ。
陽岳寺の御朱印つき。2500円・先着10名(当日、陽岳寺にて承ります)、ワークショップ時間14時~15時半。

■ナツマツリ企画(2):陽岳寺のお話しと短いお経

陽岳寺ナツマツリは入場無料。途中入場、途中退出も大丈夫。お寺の近くにお住まいの方もお見えになります。
そこで1日2回、陽岳寺についてのお話しをすこしさせていただきます。その後に、みなさんと般若心経という短いお経をお読みします。
いつもは門が閉まっているけど・・・といった近所の方には陽岳寺を知っていただき、檀信徒の皆様には陽岳寺のことをもっと・・・。
 無料。11時~、15時半~。

■ナツマツリ企画(3):浄土双六絵解き

いまから数百年前、日本のお坊さんが作ったと言われる双六、浄土双六。
いろいろな形のものが現代まで残っていますが、上野の国立博物館が所蔵するものをテーマにいろいろとお話しをさせていただきます。無料。12時~。

■おみやげと、薄茶を一服さしあげますコーナー。さらに、かき氷も!

・岐阜の製本屋「有文堂」の逸品
ボードゲーム(お寺ボードゲーム/ゲーミフィジャパン作/浄土双六)
陽岳寺の御朱印もお授けいたします
・無料で薄茶をおたてします、かき氷も!

 いろいろと楽しんでいただける内容をご用意しております。すべてお手伝いによってなりたっております。
遊ぶ側が、自然と教える側になる不思議も、ボードゲームの魅力です。みなさまのご来寺お待ちしております。
●ウェブサイト→ http://www.puninokai.com/
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平成28年8月号 花園&陽岳寺護寺会便り、発送しました


平成28年8月号花園&陽岳寺護寺会便りを発送しました。郵便局の集荷の方に引き渡し、お願いしました。
今回は副住職作です。


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【コラム】目に見えない地獄

【コラム】目に見えない地獄

American Beauty and Judgement
陽岳寺臨済宗という宗派のお寺です。臨済宗と申しますと、京都の金閣寺や、とんちで有名な一休さんが知られています。
そんな臨済宗、長い歴史のなかで衰退することもございました。しかし、いまの臨済宗があるのは、江戸時代に活躍した、とある禅師のおかげ・・・と言われております。
中興の祖、白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師。彼は幼少の頃、地獄をおそれ、出家を志したと言われています。
 
「地」下の牢「獄」、「地獄」。人は死後、えんま様の裁きを受け、悪人は地獄へ行く・・・自身も知らぬ間に行われた悪行も裁きを受けるとして、幼き白隠禅師は絶望したとのこと。
いまでも「嘘をついていると閻魔様に舌を抜かれるよ」と言ったりしますが、これは閻魔様が実在しているという意識から出てくる言葉でありましょう。
白隠禅師もおそれた地獄。市井の人びとは、江戸時代よりも昔から、地獄への恐怖を身に感じながら暮らしていました。
奈良~平安時代の『日本霊異記』には善因楽果悪因苦果という因果応報の説話がおさめられています。そのなかに、”いま目の前に地獄があらわれる“というお話しがあります。
遠い未来か近い将来、もしかしたら自分は地獄に連れていかれるのかもしれない。黄泉の国が現世からの延長線上にある。現世とつながりのある場所としての地獄の世界を、古人は実感として持っていたようです。
そんな地獄の風景を絵にした「地獄絵」。後白河法皇が描かせたとされる地獄草紙や、浮世絵や現代画まで多くの地獄絵が日本には存在しています。こうして地獄絵という「目に見えない絶望を、目に見えるかたちにする」ことは不思議に思えます。わざわざコワイ思いをしたいのでしょうか。
目に見えるかたちにする意図は何でしょうか。理由は色々と考えられますが、ひとつには、目に見えないからといってないがしろにしてはいけないこともある、と知っているからなのでは。
気にしすぎるのも困りものですが、目に見えない世界を恐れるのは、見えないが故に分からないからです。見えれば心構えを持つことができますし、すぐに具体的な対策を講じることもできます。
東日本大震災から早5年、時間の過ぎ去ることが速い場所にいるとその影を見ることは難しいことです。原子力発電所という負の遺産の解決方法と、原発代替エネルギー探しもどこかへ行ってしまった。
しかし、目に見えない巨大な絶望はどこにも去っていません。目に見えるものにとらわれ、目に入らないからと忘れてしまったかのようです。
古人にとっての地獄とは、いま自分たちが生きている現実と続いている場所。目に見えない絶望でした。
わたしたちのまわりにも、いま自分たちが生きている現実と地続きの、目に見えない絶望がないだろうか。そして、目に見えない絶望を直視しないまま刹那的に日々を暮らしていないだろうか。
もちろん本当につらいときは休むべきです。忘れるべきです。
目に見えないからといってないがしろにしないように、と。現世とつながりのある場所としての異世界を実感として持つように、と。日本霊異記の説話や、地獄絵は教えてくれています。
一攫千金やうまい話しなど存在しないように、泥くさく、地道という王道を歩みつづけるしかない。私たちの生活のなかに、現世とつながりのある黄泉の国を実感として持てるような、目に見えるかたちを持つことが大切なようです。(副住職)